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存立危機事態の再検討

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January 19, 2026

 存立危機事態の再検討

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  1. 1. 存立危機事態とは何か:定義と法的枠組み 憲法第9条の下で認められる自衛権の発動とし ての武力の行使について、政府は、従来から 1. わが国に対する急迫不正の侵害があること 2. この場合にこれを排除するために他の適当 な手段がないこと 3.

    必要最小限度の実力行使にとどまるべきこ と という三要件に該当する場合に限られると解し ている。 ◼ わが国に対する武力攻撃が発生したこと、又はわが国と密 接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによ り我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追 求の権利が根底から覆される明白な危険があること ◼ これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために 他に適当な手段がないこと ◼ 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと。わが国に対 する急迫不正の侵害があること (1) 自衛権発動の三要件から武力行使の新三要件へ 内閣法制局(1954.4.6) 閣議決定(2014.7.1) (2) 平和安全保障法制(2015.9)における存立危機事態の位置付け • 事態対処法(武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民 の安全の確保に関する法律)第2条4 • 自衛隊法(防衛出動)第76条2
  2. 2. 存立危機事態と集団的自衛権 (1) 集団的自衛権に関する政府解釈の成立 (2) 集団的自衛権の行使問題をめぐる見直しの契機 国際法上、国家は、集団的自衛権、すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が 直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利を有するとされている。わが国は、主 権国家である以上、当然に集団的自衛権を有しているが、これを行使して、わが国が直接攻撃されていな いにもかかわらず他国に加えられた武力攻撃を実力で阻止することは、憲法第9条の下で許容される実力

    の行使の範囲を超えるものであり、許されないと考えている。 稲葉誠一議員質問主意書に対する答弁書(1981.5.29) ① グローバルな安全保障環境の変容(湾岸戦争・ユーゴスラビア紛争・9.11テロ)→ 米国負担分担要求 ② 地域安全保障環境の質的変容(北朝鮮の核・ミサイル能力・中国の軍事力増大)→ 地域前方での危機の高まり ③ 同盟構造の変化(周辺事態法<1999>・テロ特措法<2001>・イラク特措法<2003>)→ 同盟相互性 ④ 国内法制・憲法解釈の断続的変化(PKO法・周辺事態法・テロ特措法・イラク特措法)→個別法体系の制度疲労
  3. (3) 安倍政権(第1次)における4類型の問題提起(安保法制懇) (4) 安倍政権(第2次)における安保法制懇報告から閣議決定まで ① 安保法制懇報告書(2014.5.15):安全保障の法的基盤の論点提示及びシームレスな法的基盤の必要性 ➢ 論点としてのフルスペック型(憲法上の制約がないとする芦田修正論)と限定型の集団的自衛権 ② 「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」(閣議決定、2014.7.1)

    ➢ 「芦田修正論を政府は採用しない」 → 1972年見解の一部修正としての集団的自衛権の限定的行使 1. 共同訓練など公海上で、近くで行動する米軍艦船が攻撃されても自衛隊の艦 船は何も出来ないという状況が生じてよいのか 2. 技術的な能力の問題は別として、米国に向かうかもしれない弾道ミサイルを レーダーで捕捉した場合、わが国は迎撃できない状況が生じてよいのか。 3. PKOの活動に従事している他国の部隊、隊員が攻撃を受けている場合、駆 けつけて武器を使用して仲間を助けることは当然可能とされている。わが国 の要員だけそれはできないということでよいのか。 4. 後方支援活動では、武力行使と一体化しないという条件が課されてきた。後 方支援のあり方についてもこれまでどおりでよいのか。 安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(2007.5.18)安倍総理冒頭発言 ① 米艦防護:個別的自衛権及び自己 の防護や自衛隊法第95条に基づく武 器等の防護では不十分→集団的自 衛権の行使を認めておく必要 ② 弾道ミサイル迎撃:従来の自衛権概 念では解決しない→集団的自衛権の 行使によらざるを得ない ③ 自己防護に加えて、他国の部隊や要 員への駆け付け警護及び任務遂行の ための武器使用 ④ これまでの「武力の行使との一体化 論」をやめ、政策的妥当性の問題とし て検討すべき 安保法制懇報告書(2008.6)
  4. 閣議決定(2014) • 政府見解(1972)の「基本的な論理」は維持しつつ、安全保 障環境の変容(パワーバランスの変化、技術革新、大量破壊 兵器の拡散等)を踏まえ「今後他国に対して発生する武力攻 撃であっても、その目的・規模・態様によっては我が国の存立を 脅かし得る」と評価 → 存立危機概念の援用 •

    「我が国と密接な関係にある他国への武力攻撃」であっても、一 定の条件を満たせば、「わが国に対する武力攻撃」と同様に自 衛権行使の対象となり得る → 新三要件への橋渡し (5) 集団的自衛権に関する従来の政府見解の改訂 従来の政府見解(1972) • 憲法前文および13条から、「自国の平和と安全を維持し、その存立 を全うするために必要な自衛の措置」を全面的に否定していない • ただしそれは「外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福 追求の権利が根底から覆されるという急迫不正の事態」に対処する ための「必要最小限度」の措置に限られる • その帰結として「他国に対する武力攻撃を阻止することを内容とする 集団的自衛権の行使は許されない」 (6) 平和安全法制の成立(2015.9) ① 平和安全法制整備法:自衛隊法、国際平和協力法、重要事態安全確保法、船舶検査活動法、事態対処法、 米軍等行動関連措置法、特定公共施設利用法、海上輸送規制法、捕虜取り扱い法、国家安全保障会議設置法 (赤字は存立危機事態に関連する法律) ② 国際平和支援法
  5. 3. 存立危機事態の想定 出典:共同通信社 (1) 存立危機事態の想定 「現実に発生した事態の個別・具体的な状況に即して、主に、①攻撃国の意思・能力、②事態の発 生場所、③事態の規模・態様・推移、④我が国に戦禍が及ぶ蓋然性、⑤国民が被ることとなる犠牲 の深刻性、重大性を基準に、「新3要件」を満たすか否か客観的、合理的に判断される」 横畠内閣法制局長官答弁(2014.7.14) (2)

    集団的自衛権の行使8事例 ① 米艦防護(4事例):邦人輸送、米艦への武力攻撃、弾道ミサイル警戒、米本土武力攻撃 ② その他(4事例):停戦検査、米国に向かう弾道ミサイル迎撃、海上交通路で戦闘下の機雷 処理、海上交通路で民間線の共同護衛(e.g.ホルムズ海峡) (3) 「わが国と密接な関係にある他国」 「我が国と密接な関係にある他国」については、一般に、外部からの武力攻撃に対し、共通の危険とし て対処しようという共通の関心を持ち、我が国と共同して対処しようとする意思を表明する国を指すも のと考えており、我が国が外交関係を有していない国も含まれ得るが、お尋ねの『国とみなされている 地域』の意味するところが必ずしも明らかではないため、お答えすることは困難である」 議院議員水野賢一君提出存立危機事態に関する質問に対する答弁書(2015.7.21)
  6. NSS・防衛計画の大綱 日米ガイドライン 安全保障法制 事態の段階 各種事態の展開に応じて対応(22) 武力攻撃事態等から大規模自然災害 に至るあらゆる事態に対応(NSS) グレーゾーン事態には兆候段階から 持続的・長期的に対応(25) 長期化・深刻化した場合にも事態の

    推移に応じ対応(25) 日本に対する武力攻撃を伴わない時 の状況を含め、平時から緊急事態ま でのいかなる段階においても、日本 の平和及び安全を確保するための措 置をとる 自衛隊法 重要影響事態安全確保法 海上輸送規制法 地理的空間 重要な影響を与える事態については、 地理的に定めることはできない 重要影響事態安全確保法 国際平和協力法 国際平和支援法 アクター連携 警察等関係機関との連携(16) 総合 的な 部隊 運用能 力・統合 運用 (22,25) ODAや能力構築支援の更なる戦略 的活用やNGOとの連携(NSS) 地方 公共 団体・民間 団体 との連 携 (25) 平素から各種事態までの同盟協力態 勢強化(25) 米軍との相互運用性にも配意した統 合機能の充実(25) 政府一体となっての同盟の取り組み 相互運用性の強化 自衛隊法 国際平和協力法 国際平和支援法 領域横断 宇宙 の開 発及 び利用 の促 進・サイ バー空間の安定的利用(22) 宇宙及びサイバー空間における対応 (25) 領域横断的な作戦(ISR態勢の強化・ ISRアセット防護・米軍の打撃力の使 用) 宇宙及びサイバー空間に関する協力 自衛隊法 サイバーセキュリティ基本法 (参考)安倍政権下での4領域のシームレスな安全保障体制 神保謙「安倍政権下でのシームレスな安全保障体制の模索:防衛 計画の大綱・日米防衛協力のガイドライン・安全保障法制」『問題と 研究』(2015年4.5.6月号)
  7. 4. 台湾をめぐる米国の戦略的曖昧性 (1)戦略的曖昧性(Strategic Ambiguity) • 「一つの中国政策」(One China Policy)を前提に、米国が台湾有事における軍事介入の 可否を明示しないという政策→中国・台湾・米国の三者間に均衡を維持するための意図的 に維持された不確実性

    (2) 二重抑止(Dual Deterrence) → 抑止と抑制の同時追求 • 対中国:「侵攻すれば米国介入の可能性が高い」という不確実性のコスト計算を働かせる • 対台湾:米国の自動介入を保証すれば台湾独立を誘発するモラルハザードが発生 (3) 戦略的明確化(Strategic Clarity)をめぐる議論 • 中国の軍事力増強により、曖昧性の抑止力が相対的に低下しているという認識 • 新興技術・迅速な統合作戦によってもたらされる判断時間の短縮が、曖昧性が本来依存し ている戦略的シグナルを維持しにくい→「事前の明確化によって抑止を強化すべき」? • 他方で明確化は中国の先制行動リスク、台湾の独立志向の強化、という双方向の不安定 戦略的曖昧性のリスク 曖昧性の最大の脆弱性は、当事者が互いの 閾値や意図を誤読しやすい構造的バイアス • 中国が「米国は内向きで介入しない」と誤 信 → 電撃侵攻の誘因 • 台湾が「米国は必ず守る」と誤信→ 独立 的言動の増幅 • 米国が中国の威圧を過小評価 → 同盟 信頼の低下 一つの中国政策(One China Policy) 米国の「One China Policy」は中国の「一つ の中国原則」と異なり、「中国がそう主張してい ることを認識(acknowledge)するが、台湾の 地位を自らは確定しないという外交的余白を 残す→米国は台湾関係法(1979)により、台 湾の安全保障を扱う独自空間を確保 日本の立場との関係:日本政府が台湾有事について「存立危機事態に当たるか一概には言えな い」と繰り返してきた背景には、米国の戦略的曖昧性と歩調を合わせ、「事態認定」というカードを事 前に固定しないという日本版の曖昧戦略が存在してきたと整理できる。
  8. 5. 抑止論からみた明確化と曖昧化のメカニズム (1)抑止論の基本ロジック 抑止とは、相手に「行動すれば損だ」と認識させることで、有害な行動を思いとどまらせる戦略。 抑止の成立には、①相手に実害を与えうる能力、②実際に行使する意思、③それらが相手に 正しく伝わる認知の三要素が必要とされる。 (2) 明瞭なシグナリングによる抑止 戦略的明確化は、「ある条件が満たされれば必ず介入・反撃する」と明言することで、相手の期 待利益を大きく引き下げる手法。抑止の信頼性を高め、同盟国への安心供与を強める効果が

    ある一方で、危機時に双方が最悪シナリオを前提とした計画を立てやすくなり、エスカレーションの 速度が増し、政治的に「引き返しにくい」状況を生みやすい。 (3) 曖昧なシグナリングによる抑止 戦略的曖昧性は、対応内容や介入の有無をあえてぼかすことで、相手の戦略的計算を複雑 化させる手法。相手は「踏み込んだ場合にどの程度巻き込まれるか読めない」ため、有害行動の 期待値計算に不確実性という追加コストが加わる。他方、曖昧すぎれば「結局は介入しない」と 誤算されるリスクがあり、同盟国側も安心供与の不足に不満を抱く可能性がある。 抑止論の類型 懲罰抑止:攻撃すれば報復で“耐えがたい 損害”を受けると相手に思わせる抑止 拒否的抑止:攻撃しても成功しない(作戦 的に無効化)と認識させる抑止 拡大抑止:抑止力を同盟国に適用する (同盟国への攻撃にも反撃が確実に伴うと 相手に信任させる)抑止 抑止におけるシグナリング 自国の意思・能力・閾値を相手に明確に 伝達し、信じさせるための戦略的コミュニ ケーション→相手の計算式に「これは本当 に実行される」という信認を埋め込むための 行為(声明・軍備配置・演習・同盟協 議)
  9. 6. 高市政権と「戦略的明瞭化」へのシフト? (1)日本側のシグナリング → 存立危機事態の意図せざる明瞭化? • 防衛費GDP比2%前倒しで実現、防衛力抜本的強化の継続。日米での重要鉱物・レア アース・重要技術・造船協力(日米首脳会談、2025.10.28) • 戦略3文書前倒し改訂、スタンド・オフ防衛能力整備の加速化、次世代動力を活用した

    VLS潜水艦の保有推進、防衛装備移転運用指針5類型撤廃(以上、自民党・日本維 新の会連立政権合意書、2025.10.20) • 「戦艦を使って、武力の行使も伴うものであれば、これはどう考えても存立危機事態になりう るケースであると私は考えます」(高市首相発言、2025.11.7) (2) 中国側の原則論的反発 • 政府公式声明:日本の台湾海峡武力介入の示唆、中国の核心的利益への介入、日中 共同声明(1972)の原則に違反 • 歴史戦の展開:軍国主義回帰という言説、歴史修正→再軍備→軍国主義の再来という ナラティブ形成、日本は過去の侵略を反省していない • 経済・人的交流の制限:中国人の訪日自粛呼びかけ、日本産水産物の事実上の輸入 停止 抑止論上の解釈:巻き込みシグナリング 同盟国があえて緊張度の高いテーマに踏 み込むことで、米国の曖昧なコミットメント を明確化へと押し出す作用→ これが意図 されていたという証拠はない (出典)外務省 (出典)中国外交部報道官
  10. 7. 存立危機事態認定のリアリティ:エスカレーション・ラダー (1) 事態の段階(エスカレーション・ラダー) レベル1:平時・外交摩擦 レベル2:重要影響事態 レベル3:存立危機事態 レベル4:武力攻撃事態 (2) 典型的シナリオの例(分析的想定)

    • 台湾封鎖・米軍介入:中国が台湾に対して限定的武力行使や封鎖を行い、米軍が介入を決断する。その際、在日米 軍基地が出撃拠点として機能すれば、中国は展開する米軍および米軍基地を攻撃オプションとして検討しうる。日本政 府は、米軍の機能および基盤の維持を国家の存立に直結する問題と判断する場合。 • 南西諸島周辺の攻防xシーレーン遮断:台湾危機に連動して中国軍が宮古・与那国周辺で大規模演習を行い、事 実上の海空封鎖に近い行動を取る。輸送路を守るために米軍が介入し、そのための作戦拠点として在日米軍基地や自 衛隊の役割が不可避になる場合。 順を追って(sequence) ではなく、同時並行的 に進展する可能性もあ る (出典)防衛省『防衛白書』 (出典)Japan Times
  11. 8. 日中関係をめぐる戦略・言説・認知の管理 (1)戦略的シグナリングの精緻化が不可欠である • 存立危機事態は、法的定義に加え、相手国の認知が抑止効果を左右する「戦略的シグナル」としての性 格を持つ。台湾海峡情勢が流動化するなかで、日本は何を自国の存立と位置づけ、どこが軍事・政治介 入の閾値となるのかを、過不足なく、かつ誤解を生まない形で設計する必要がある。明確化しすぎればエス カレーション誘発の危険があり、曖昧すぎれば抑止の信頼性が損なわれる。その中間にある最適点を探る 作業自体が、政策の核心となる。 (2)

    安全保障のリアリティと外交言説を接近させる • 日中関係は1972年の共同声明など「4文書」を政治基盤として維持している。他方で、台湾海峡の緊張 や南西諸島の防衛態勢、日米同盟の強化といった現在の安全保障環境のリアリティは厳然と存在する。 外交言説としての4文書の尊重と、安全保障政策の実態の乖離は深刻であり、相互の誤認や誤算を招 きやすい構造となっている。現実の安全保障環境と整合する形で言説と政策を再設計する必要がある。 (3) 中国との安全保障対話を重層化し、誤算リスクを管理する • 近年、外交当局間の往来のみならず、研究者・シンクタンク間の知的交流も大幅に縮小し、日中双方の 戦略的意図が読み取りにくい構図が生まれている。その結果、小さなシグナルが過剰に解釈され、誤解や 誤算が生じやすい環境が強まっている。この状況を是正するには、① 危機管理を中心とした実務レベルの 安定的対話(ホットライン、海空遭遇ルールなど)、② 研究者・シンクタンクによる継続的な政策対話の 積み重ねという二つを重層的に発展させ、相互理解の基盤を補強することが不可欠である。