Upgrade to Pro
— share decks privately, control downloads, hide ads and more …
Speaker Deck
Features
Speaker Deck
PRO
Sign in
Sign up for free
Search
Search
「なんで英語やるの?」の戦後史
Search
TerasawaT
March 06, 2024
0
130
「なんで英語やるの?」の戦後史
関西学院大学大学院言語コミュニケーション文化研究科
第2回公開セミナー
2018年10月20日(土)
TerasawaT
March 06, 2024
Tweet
Share
More Decks by TerasawaT
See All by TerasawaT
寺沢拓敬 2019 外国語教育政策研究の理論・方法
terasawat
0
43
寺沢拓敬 2024. 09. 「言語政策研究と教育政策研究の狭間で英語教育政策を考える」
terasawat
0
220
寺沢拓敬「日本の英語教育の学術トレンド 社会学的考察」LET関西2023年春季大会
terasawat
0
140
寺沢拓敬 (2022).「新自由主義=グローバル化」観から問い直す小学校英語. 小学校英語教育学会2022年大会
terasawat
0
87
〈学術的〉英語教育政策研究 のあり方
terasawat
0
91
#英語力ランキング批判:EF-EPI,TOEFLスコア,英語教育実施状況調査
terasawat
0
590
Secondary Analysis in Applied Linguistics
terasawat
0
89
Featured
See All Featured
StorybookのUI Testing Handbookを読んだ
zakiyama
27
5.3k
The World Runs on Bad Software
bkeepers
PRO
65
11k
JavaScript: Past, Present, and Future - NDC Porto 2020
reverentgeek
47
5.1k
Understanding Cognitive Biases in Performance Measurement
bluesmoon
26
1.5k
Thoughts on Productivity
jonyablonski
67
4.4k
The Art of Programming - Codeland 2020
erikaheidi
53
13k
Automating Front-end Workflow
addyosmani
1366
200k
GraphQLとの向き合い方2022年版
quramy
44
13k
Done Done
chrislema
181
16k
A Modern Web Designer's Workflow
chriscoyier
693
190k
Raft: Consensus for Rubyists
vanstee
137
6.7k
Optimizing for Happiness
mojombo
376
70k
Transcript
1 「なんで英語やるの?」の戦後史 1 言語コミュニケーション文化研究科 第2回公開セミナー 関西学院大学 言語コミュニケーション文化研究科 寺沢 拓敬
自己紹介 専門 言語社会学 応用言語学 外国語教育制度史 テーマ 1. 英語をめぐる世論 2. 英語教育の「制度」
3. 外国語教育学の方法論 4. 批判的応用言語学 2
3 「《国民教育》としての英語」の誕生 Q. 中学校で外国語が必修教科になったのはいつ? ① 戦前(~1945年) ② 本土占領期(1945~52) ③ 高度成長期の前後(1952~69)
④ 昭和後期(1970~88) ⑤ 平成初期(1989~2000) ⑥ 21世紀(2001~) 3
7 旧学制 中等教育に進学した人の一部だけが英語を履修 新学制 名実ともに選択科目 (名はともかく)事実上は必修科目 全員が一度は学ぶ 全員が3年間学ぶ 1947 1950
1960 1945 1980 1990 1970 中学校外国語が「必修教科」に 2000 「事実上の必修化」の自明視が進む
1947年度『学習指導要領試案』 選択科目にする根拠、要点 義務教育では、「社会の要求」と「生徒の興味」に 基づいて教育内容が編成されるべきである 必修科目は、「公民」を育成するうえでの社会的必 要性が高い科目に限られるべきである 英語の必要性には地域差・個人差が大きいので、選 択科目にするのが妥当である 8
1950年代の履修率(愛知県の例) 10 100% 76% 61% 0% 20% 40% 60% 80%
100% 中1 中2 中3 84% 79% 53% 0% 20% 40% 60% 80% 100% 名古屋 市部 郡部 1954年、愛知県教育文化研究所による調査 (出所:『英語教育』編集部1955)
1960年代の英語履修率 80% 85% 90% 95% 100% 1961 62 63 64
65 66 67 68 69 中1(推測値) 中2 中3 11 出所:文部省発行、全国中学校学力調査の報告書、各年度版 注)65年度から英語に関する調査は行われていない
農漁村地域の急上昇 12 65% 70% 75% 80% 85% 90% 95% 100%
1961 62 63 64 65 66 住宅市街 工業市街 商業市街 山村 普通農村 農山村 純農村 漁村 ※1 「全学テ」報告書記載 の各地域のシェアか ら推 ※2 報告書原本の 14地域から、 特徴的な8地域を抜 粋。
「みんなが学ぶ」の自明視の進行 渡部平泉論争 (1975) 全員が英語を学ぶことの是非が一般誌上で論争に 戦前や終戦直後には珍しい「英語学習は国民全員に必要」というレトリック が展開 英語を選択科目に戻すことを提案した平泉ですら、提案の細部をよく読む と、ごく基礎レベルの英語の知識については全員に与えるべきだとしていた 中学英語週三時間反対運動(1980s前半) 4万人以上の署名を集めて国会請願を行った「中学校英語週三時間に反対す
る会」 熊本県人吉市議会では、英語の授業時間増を求める請願が採択 「週3時間は不平等」という訴え(戦後初期はもっと授業時数がバラバラ だったのに・・・) 15
ここまでのまとめ 名実ともに選択科目 事実上の必修科目 全員が一度は学ぶ 全員が3年間学ぶ 1947 1950 1960 「英語=《国民教育》」 という伝統の自明化
1970 16
17 なぜ事実上の必修化は 生まれたか? 17 ・英語科の必然的な発展ではない ・阻害要因と促進要因の綱引きの結果
必修化を阻害していた要因 18 必修化 1. 英語使用ニーズがきわめて低 かった。特に地方・農村にお いて顕著 2. 運動がなかった。関係者の間 に、英語を必修科目にすべき
だとする認識は広く浸透して いなかった 3. 戦後初期の理念は「選択科目 であるべし」だった。「社会 の要求に答えられない科目は 必修にすべきではない」 4. 英語教育条件が未整備だった。 特に、農漁村地域
必修化を促進した要因 A) 高校入試制度改革 選択科目という理由で高校入試の試験 科目から除外されていた英語が、 1950年代半ば以降、なし崩し的に導入 されるようになった B) 人口動態的影響 1960年代初め。ベビーブーム世代の入
学による生徒数急増に伴う教員採用の 変化。その後、生徒数急減による教育 環境の改善 C) 戦後民主主義の退潮 教育政策の保守化、いわゆる「逆コー ス」。戦後初期の「社会の要求に基づ く教育」という理念が退潮。その結 果、社会の要求に基づいていなかった 英語科の存在意義が相対的に向上した D) 離農化 1950年代後半以降。農業従事者の減 少。「農家には英語はいらぬ」という 図式の否定 E) 戦後型英語教育目的論の創出 戦前から有力だった「教養を深めるた めに英語を学ぶ」という目的論を、新 制中学にあてはまるように読み替え、 使う必要がなくても学ぶ価値があると 正当化した F) 科学的英語教育理論の浸透 1950年代以降。英米の最先端の言語学 習理論が輸入・受容されたことで、科 学的に正しい英語教育が理想とされ、 社会的ニーズの問題が後景に退いた 19
阻害要因 限定的だった国際化 0 10 20 30 40 50 1950 1960
1970 1980 1990 2000 出国者数(百万人) 入国者数(百万人) 輸出額(兆円) 輸入額(兆円) 20 出典:財務省(貿易額)、法務省(出入国者数)
阻害要因 農漁村における英語への不信感 1940年代後半、山村地域の人々の声 英語などどうでもよいのだ 英語は人間を堕落せしめるものである 英語の出来る者は不良の奴だ (禰津 1950, pp. 1,
47-8) 1960年前後の教研集会 「先生、なんで英語なんかやるだい。英語なんかいらねえと思う けどなあ」という声が生徒からも父母からも出はじめました。そ れに対して、どう答えたらよいのか、… 生徒や父母を納得させる ことはもち論、自分自身を納得させるだけの答えが出来ませんで した。 (五十嵐 1962, p. 8) 21
必修化運動? 雑誌『英語教育』誌上 反対論が多数派 全国英語教育連盟(全英連) 関心薄い 日教組教研集会 外国語教育分科会 根強い慎重論 文部省 「進路・適性に応じた教育」がスローガン。
むしろ選択制の徹底を目論んでいた 22
『英語教育』における必修化をめぐる議論 0.0% 0.2% 0.4% 0.6% 0.8% 1.0% 1.2% 1.4% 1945-49
1950-54 1955-59 1960-64 必修化不支持―現状肯定 必修不支持―選択制支持 必修支持 賛否表明なし 記 事 の 出 現 頻 度 23
必修化を促進した要因 再掲 A) 高校入試制度改革 選択科目という理由で高校入試の試験 科目から除外されていた英語が、 1950年代半ば以降、なし崩し的に導入 されるようになった B) 人口動態的影響
1960年代初め。ベビーブーム世代の入 学による生徒数急増に伴う教員採用の 変化。その後、生徒数急減による教育 環境の改善 C) 戦後民主主義の退潮 教育政策の保守化、いわゆる「逆コー ス」。戦後初期の「社会の要求に基づ く教育」という理念が退潮。その結 果、社会の要求に基づいていなかった 英語科の存在意義が相対的に向上した D) 離農化 1950年代後半以降。農業従事者の減 少。「農家には英語はいらぬ」という 図式の否定 E) 戦後型英語教育目的論の創出 戦前から有力だった「教養を深めるた めに英語を学ぶ」という目的論を、新 制中学にあてはまるように読み替え、 使う必要がなくても学ぶ価値があると 正当化した F) 科学的英語教育理論の浸透 1950年代以降。英米の最先端の言語学 習理論が輸入・受容されたことで、科 学的に正しい英語教育が理想とされ、 社会的ニーズの問題が後景に退いた 26
27 1950 1955 1960 1965 1970 0 10 20 30
40 46 0 20 40 60 80 100 都道府県数 高校進学率(%) 高 校 進 学 率 入 試 に英 語 を課 した都 道 府 県 高 校 進 学 率 高校入試への英語導入 → 履修率上昇
高校進学が一般化するはるか前に 英語必修化が完了 28 40% 50% 60% 70% 80% 90% 100%
1960 1961 1962 1963 1964 全国の中3履修率 漁村の中3履修率 東京都の高校進学率 青森県の高校進学率 宮崎県の高校進学率 → 高校入試改革以外にも重要な原因が…
促進要因 人口動態 → 教員採用の変化 29 戦後初期の深刻な教員不足 ↓ 生徒数増への対応として教員増員 ↓ 生徒減少後も採用した教員は維持
(苅谷剛彦, 2009, 『教育と平等』中央公論新社) 英語科の人的リソースの余裕 ↓ 上級学年に人員をまわすことが可能に ↓ 英語クラスの新規開講
60年代初めの生徒数の急増・急減 0 100 200 300 400 500 600 700 1948
50 55 60 65 70 中学生数(万人) 30
31 1961 1962 1963 1964 中3 中2 中1 英語履修者数(万 0
100 200 300 400 500 600 推計方法「学校基本調査」各年 度版に記載されている各学年の 生徒数に、次の履修率をかけた 中1:100% 中2:「全学テ」報告書記載の履修率 中3:同上 実数は減少 31
英語教員シェア増 → 人的余裕増 → 英語科の新規開講 20,000 30,000 40,000 50,000 60,000
1947 1950 1953 1953 1959 1962 1965 国語 社会 数学 理科 外国語 公立中・本務教員数 32 出所:『学校教員統計調査』各年度版
33 英語教員の シェア(縦軸) および ベビーブーマー 卒業後の教員採 用方針(横軸) の相関関係 都市6都府県および 北海道をのぞく39
県のプロット
「社会の要求」の読み替え 「社会の要求」を具体的な「英語使用ニーズ」から切断 → 抽象化 社会が必要としているニーズは、英語使用そのものではなく、 英語科を通して身につけられる諸価値であると、抽象的に読み 替える 戦前から流通していた「教養としての英語」論を流用 戦前のように、発達段階を仮定した教養論ではない。初期から 運用能力育成と教養育成は両立可能とした
→ 戦後型教養観 38
39 教養 運用能力 戦前の英語教育の「教養」 指導要領試案の「教養」 戦後型「教養」 発 達 段 階
英語教育と教養の関係について論じた記事 (※高校・大学を前提としたものは除外) 40 0% 20% 40% 60% 80% 100% 1945-49
(n = 5) 1950-54 (n = 15) 1955-59 (n = 18) 1960-64 (n = 17) 記事のシェア 戦前型教養観 明示なし 戦後型教養観
英語教員の若返り(1963年) 0% 20% 40% 60% 80% 100% 国語 n =
45,289 社会 n = 51,017 数学 n = 34,034 理科 n = 34,178 外国語 n = 29,523 50代以上 40代 35-39 30-34 29歳以下 新制大学 経験者 41 出所:文部省『学校教員需給調査報告書』(1963年)
促進要因 「正しい英語学習」の「社会の要求」への優越 「科学的に正しい語学」 「言語の本質/語学の本質から見て正しい」 当時の英語教育界の学問的潮流 OM, OA, 構造主義言語学、行動主義心理学 ただし、パーマーやフリーズの著作そのものには馴染みのない 「現場」にも浸透した
農漁村のような、ニーズ(≒社会の要求)が疑問視され た地域にも浸透 42
0 2 4 6 8 10 12 14 16 1945-49
1950-54 1955-59 1960-64 言語の本質 語学の本質 農漁村地域 言 及 数 43
促進要因 「社会の要求に基づく教育」の退潮 1950年代の「逆コース」 戦後初期の「民主的な教育」の退潮 消えた「選択教科の位置づけ」 1958年度版「学習指導要領」から必修・選択教科の位置づけに関 する記述が消える 「社会の要求にこたえられる教科だけが必修にふさわしい」とい う「重圧」からの解放 44
促進要因 離農化 3段論法の消失 1. 農家の子どもは農業を継 ぐ 2. 農家に英語はいらない 3. 農家の子どもに英語がい
らない 0 5 10 15 20 25 1946 55 60 65 70 75 80 85 農業従事者数(百万人) 人口に占める割合(%) 45
まとめ 生徒数急増・ 教員採用の変化 高校入試への 英語導入 中学校英語 履修率増 事実上の 必修化 選択科目の理念
「社会の要求」 農村の苦境 必修化 促進要因 必修化 阻害要因 文化教養説 「科学的に正し い語学」言説 離農化 戦後民主主義 の退潮
本日のまとめ ・《国民教育》としての英語科の来歴 ・英語教育制度の経路依存性 47
《国民教育》としての 英語科の来歴 48 戦後初期の英語必修化 英語科の必然的な発展ではなく、英語科にとっ て外在的な要因の相互作用の結果 英語科が「選択教科」であり得た可能性 – 戦前は「一部の生徒だけが学ぶ」のは当たり前 –
加藤周一や平泉渉の提案 – 1950年代の文部省は完全な選択制を目論む
本研究の意義、3つのレベル 英語教育史としての意義 「事実上の必修化」成立過程の解明 言語教育論としての意義 教育目的を問い直す 社会科学として歴史を考察する意義 教育課程の粘着性:制度は一度成立すると変化しにくい 教育課程の経路依存性:過去の(場合によってはささいな)諸条 件が、自己増幅過程を経て、現在の制度に影響を与える――特 定の選択肢へ誘導する強い推進力を持つ
参考 ポール・ピアソン (粕谷祐子監訳)(2004=2010)『ポリティクス・イン・タイム』勁草書房 保城広至 (2015)『歴史から理論を創造する方法』勁草書房 49
経路依存性 Xp-3 Yp-3 Xp-2 Yp-2 Yp-1 Yp 例 X: 米式モールス信号上の都合
Y: キーボードのQWERTY配列 X:「英語教育の目的は教養育成だ」言説 Y:英語の事実上の必修化 経路依存性の働いているもの 教育の公式の制度のすべて 教育界における非公式的慣習のすべて 態度・信念(社会的要因に左右されやすいもの) 学問体系・学会制度 50
ポリアの壷(Polya’s urn) 51 1. 壷に赤玉が n 個、白玉が m 個 入っている状態からスタート
2. 一個取り出して色を確認して、ま た壷に戻す 3. この時の色が赤なら赤玉を、白な ら白玉を、もう1個壷に入れる 4. 1.~ 3. を繰り返す
初期値:赤1個、白1個 52 0 0.1 0.2 0.3 0.4 0.5 0.6 0.7
0.8 0.9 1 1 100 200 300 Probability Number of trials
0 50 100 150 200 250 300 0.0 0.2 0.4
0.6 0.8 1.0 Number of trials Probability 初期値:赤1個、白9個 53
小学校「外国語活動」必修化 小学校「外国語」(教科)必修化 現在 英語教育制度の経路依存性 54 新制中学校「外国語」必修化 旧制中学高校 英語学習の目的=英文学読解を通じた教養育成 難解な英文テクスト読解による選抜機能 戦前
戦後 近代教育制度が発足した当初の語学教育 欧文テクストから欧米の学問を吸収 明治初期
引用文献 五十嵐新次郎 1962 「英語教師志望の N 君へ」『英語教育』(5 月): 8-9. 『英語教育』編集部 1955
「英語教育通信」『英語教育』(5 月): 32. 禰津義範 1950 『英語カリキュラム』開隆堂 55