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フラウィウス朝時代の社会
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tomohata
January 13, 2008
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フラウィウス朝時代の社会
ローマクラブでの発表資料(2008/1/13)
※古代ローマ史
tomohata
January 13, 2008
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Transcript
フラウィウス朝とローマ社会 ポンペイとコロッセウム
ティトゥス帝(79年ー81年) ▪ ティトゥス・フラウィウス・ウェス パシアヌス(*父と同名) ▪ 紀元後39年、ローマで生まれ る。 ▪ 父・ウェスパシアヌスに従い、 後には父に代わりユダヤ戦争
を指揮する。 ▪ 即位前の評価は「第二のネ ロ」とされる程、芳しくなかった。 http://www.vecip.com/images/titus.jpg
ティトゥス帝代の出来事 主なもの ▪ 79年、即位後まもなくしてウェスウィウス火山の大 噴火が起こる。 →ポンペイ、ヘラクラネウムなどの中小都市が壊滅す る。 ▪ 80年、コロッセウムの奉献式を挙げる。 →この時、皇帝主催による大規模な剣闘士闘技と50
00頭もの野獣が出場する見世物が開催された。
ティトゥス帝の評価 ▪ 即位前の「第二のネロ」と言う風評を良い意味で裏 切り、良帝として親しまれる。 ▪ 僅か2年と言う統治期間に、1)ウェスウィウス火山 の噴火、2)ローマの大火、3)イタリア全域での疫病 の発生、等、次々と生じた災厄の善後処理に追わ れ続ける。 ▪
数々の災厄に嘆き悲しむ市民に様々な公的なサー ビスを施し、迅速に再建に着手する。
ティトゥス帝の評価 スエトニウスの記述より ▪ 「・・・世界中の人々から慕われ喜ばれた。・・・それも 非常 に難しいことに、統治している間に愛されたのである。・・・」 (Suet. Titus 1) ▪
「・・・彼の死が公表されると、市民は誰も彼も、家族を失った も同然に嘆き悲しむ。・・・議員たちは亡くなったティトゥス帝 に対し、生存中に彼の目の前ですら決して授けたことのな かったほどたくさんの感謝の言葉を述べ、賛辞を積み重ねた のである。」(Suet. Titus 11)
ドミティアヌス帝(81年ー96年) ▪ ティトゥス・フラウィウス・ドミティ アヌス ▪ 51年、ローマで生まれる。 ▪ 兄・ティトゥスとは違い、宮廷教 育を受けることが出来なかった。 ▪
公正で風紀引き締めに優れた 手腕を発揮する一方、特に元 老院からは恐れられ憎まれる。 www.imperiumromanum.com/.../domitianus_02.jpg
ドミティアヌス帝の死 ▪ 93年、所謂「恐怖政治」が始る。 ▪ 95年、皇后ドミティラを追放したが、これが契機とな り、「反ドミティアヌス」を巡る陰謀が生じる。 ▪ 96年、宮廷に残っていたドミティラの執事ステファヌ スと侍従パルテニウス以下数名の暗殺者により、皇 帝は宮廷内で暗殺される。
皇帝の死を巡る相反する反応 軍隊 ▪ 「・・・兵士はひどく嘆き悲しみ、直ちに、ドミティアヌ スに「神君」の呼称を与えようと努め、・・・」 (*Suet. Dom. 23) 元老院(*「記憶抹消の刑」の決議) ▪
「・・・この上なく侮辱的な攻撃と辛辣な怒号で故人を 切り苛み、梯子を持ちこませて、故人の肖像楯や像 などを皆の面前でひきはがし、その場で地面に叩き つけるように命じ、最後に彼の碑銘をあらゆるところ から削り落し、彼に関する一切の記憶を抹殺するこ とを決議したのである。」 (*Suet. Dom. 23)
ポンペイ ユピテル神殿
ポンペイとは? ▪ ウェスウィウス火山の噴火により、ヘラクラネウム等 と共に紀元後79年8月24日に壊滅した都市。 →18世紀初頭に本格的な発掘が始るまで「忘れ去ら れた都市」として地中深く眠り続けていた。 ▪ ローマ社会と都市の様相を知る上で非常に貴重な 都市遺跡である。 ▪
当時の人口は1万2千人程度と考えられており、交 易の中継地として栄え、市民は裕福な生活を享受し ていたと考えられている。
イタリアにおけるポンペイの位置 www.johnpratt.com/.../images/pompeii_map.gif
ポンペイの歴史 ▪ 元々はオスキ人が住み着いていた。 →現在で言う第VII区と第VIII区の中心一帯に彼等の 村があった。 ▪ 前8世紀、ギリシア人による植民活動が盛んになる。 この時、海上交易の地の利に恵まれていたポンペ イ一帯が注目されるようになる。
紀元前6世紀以前のポンペイ www.skidmore.edu/.../cl311/pompeii-city-plan.jpg
ポンペイの歴史 ▪ 前6世紀、植民活動の中で、イタリア半島南部に住 み着いたギリシア人もこの土地に住み着くようにな り、市街地が拡大し、ポンペイの本格的な発展期を 迎える。 →ドーリス式の神殿が建設され、アポロ神が崇拝され た。
紀元前6~5世紀頃のポンペイ www.skidmore.edu/.../cl311/pompeii-city-plan.jpg
ポンペイの歴史 ▪ ギリシア人が中南部一帯に進出して行く頃、エトル リア人もこの地域に移り住み始めるようになる。 ▪ 前526年~474年にかけて、ポンペイはエトルリア 人に占領される。 →アポロ神殿跡から出土した土器破片などに刻まれ たエトルリア文字からも裏付けられる。 *エトルリア時代の痕跡はそれ程残ってはおらず、市
街地の拡大なども特にはなかったものと思われる。
ポンペイの歴史 ▪ 前474年、クマエ沖海戦に て、ギリシア人が再びイタリ ア中南部の覇権を握り、ポ ンペイも再度、ギリシア人 の支配下に入る。 ▪ ギリシア人は周壁をめぐら せ、市街地を北に向けて拡
大させる。 →大路と小路が縦横に設けら れ、規則的な幾何学性を有 するようになる。
紀元前5世紀前半頃のポンペイ www.skidmore.edu/.../cl311/pompeii-city-plan.jpg
ポンペイの歴史 ▪ 前5世紀後半、カンパニア地域へのサムニウム人(山 岳部族)の侵攻が目立ってくる。 ▪ 前424年、サムニウム人の一派により、ポンペイは征 服される。 →この時、市街地が主に東側に広がり、現在のポンペイ に残る全長3kmにも及ぶ周壁の境界が定まる。 東西:ノラ通りとアボンダンザ通り
南北:スタビア通り ▪ ポンペイの基本的な配置図が定まり、新市街はこのよ うな基幹道路の構図に沿って発展してゆく。
紀元前5世紀後半以降のポンペイ www.skidmore.edu/.../cl311/pompeii-city-plan.jpg
ポンペイの歴史 ▪ 東西:ノラ通りとアボンダンザ通り ▪ 南北:スタビア通り スタビア通り ノラ通り アボンダンザ通り ポンペイの地図(現在)
ポンペイの歴史 前3世紀~2世紀にかけてのポンペイの発展 (ヘレニズム化と市民生活の活性化) ▪ 広場(forum)が再整備され、市民活動の中心となる。 ▪ 都市南部に大劇場、三角広場が設置され、文化生活 の中心となる。 ▪ 公衆浴場が建設される。
▪ 住宅にはヘレニズム様式の壁面装飾が施され、中庭に はギリシア風の列柱廊が備わる。
ポンペイの歴史 ローマの台頭 ▪ 前4世紀中頃、ローマがポンペイに干渉し始める。 ▪ 前1世紀前半、同盟市戦争でポンペイは反ローマ勢力 に加担したが、スッラの下で、ローマの軍門に下る。 →敗北にも拘らず、ポンペイの自由民はローマ市民権を 付与され、多数のローマ人入植者が迎えられた。 ▪
前87年、自治市(municipium)となる。 ▪ 前80年、植民市(colonia)に昇格する。
フォルム(広場)一帯 A. 公務機関 B. バジリカ C. アポロ神殿 D. 穀物市場 E.
凱旋門 F. ユピテル神殿 G. 公設市場 H. ラレス神殿 I. ウェスパシアヌス神殿 J. エウマキアの建物 K. 民会会議場 www.ancientworlds.net
ユピテル神殿 ▪ フォルムはローマ 時代の各都市の 政治・経済及び祭 祀の中心部である。 ▪ ここポンペイでも、 フォルムを取り囲 むように様々な神
殿や市場、公会堂 や二人委員(* duoviri)の執務室、 及び公共施設等 が立ち並んでいた。 フォルム(公共広場)手前から撮影したユピテ ル神殿。
ユピテル神殿一帯の復元図 ▪ 本来、フォルム全体は列柱廊に囲まれ、地面は石畳によって平ら に舗装されていた。 www.ancientworlds.net
バジリカ(公会堂) ▪ マリーナ門から遺跡 に入って行くと、まず 始めに観光客を右 手から出迎えるのが、 この公会堂である。 ▪ フォルム一帯では最 も古い公共施設であ
り、元々は商取引所 として用いられてい たが、やがて裁判所 として利用されるよう になった。 ポンペイの裁判所・バシリカ
ウェスパシアヌス神殿のレリーフ このレリーフは、かつてはウェスパシアヌス帝に奉られたものと考えられて きたが、現在では、寧ろ、初代皇帝アウグストゥスが「尊厳(augustus)」の 称号を得た前27年の出来事を記念したものと考えられている
大神祇官としてのアウグストゥス www.the- romans.co.uk/.../full/03.augustus.jpg classics.uc.edu/.../aeneid_images/augustus2.jpg ▪ プロパガンダ戦略の一環として、軍服姿(Imperator)ではなく、国家祭 祀を担う神官のトップ(Pontifex maximus)と言うイメージを用いた像
市民の文化活動と余暇 ポンペイにおける文化活動と余暇の場 ▪ 劇場 ▪ 円形闘技場 ▪ 公衆浴場
大劇場 ▪ 前3世紀~2世 紀にかけて、自 然の傾斜を利用 して建設された。 ▪ 5千人程度収容 でき、観客席を 雨や強い日射し
から守る為の天 幕が張られる等 のサービスも充 実していた。 pulpitum(舞台)の向こう側に は剣闘士養成所が見える。
大劇場の復元図 www.vroma.org/~plautus/theatmodlab.jpg
劇場と演劇 ▪ 大劇場では、左のモザイク画のような仮面を纏い、例えば右のモザイク 画に描かれているような喜劇が演じられていたのだろう。 ▪ ローマ社会では、俳優は仮面を纏って舞台に登場した。 www.vroma.org/.../bonvallet3-33.jpg www.angelo.edu/.../1301/images/IN243aPA ctrs.jpg
小劇場 ▪ 大劇場に隣接して建 設されており、1,3 00人程度収容でき た。 ▪ 主に朗読会、音楽祭 等に利用され、集会 などが催されること
もあったと言う。
旅芸人の街頭演奏 ▪ 「キケロの家」と称される邸宅の壁面モザイク ▪ 市民の間で、音楽などの文芸が非常に愛好されていた様子を 窺い知ることが出来る。 www.hp.uab.edu/image_archive/ule/mosaic01.jpg
公衆浴場 ▪ ポンペイに残る公衆浴場の一室の熱浴室(サウナ)
公衆浴場と機能 ▪ 公衆浴場は、男湯と女湯に別れており、各々(I)脱衣所、(II) 冷浴室、(III)温浴室、(IV)熱浴室の順に入っていった。 ▪ しばしば浴場と運動場は1セットとなり、人々はまず、午後の 余暇に運動場で汗をかいた上で、冷浴室でその汗を流し、 温浴室で湯船にゆっくりと浸かり、共に連れた奴隷にマッ サージを受け、熱浴室で再び汗をかいて、肥満や病気対策 を行っていた。
▪ また、彼等は入浴をしながら会話を交わすことを愉しんでい た為、公衆浴場は市民の情報交換と憩いの場となっていた のである。
剣闘士闘技とコロッセウム ▪ ローマでは、ティトゥス帝代においてようやく常設の 剣闘士闘技場(コロッセウム)が建設されたが、ロー マ帝国下の幾つかの諸都市では、既に、常設の剣 闘士闘技場が建設され、市民を愉しませていた。 ▪ ポンペイでも共和政期の時点で、こうした剣闘士闘 技場が建設されており、時には、近隣住民との間で の騒動の元ともなっていた。
剣闘士養成所 ▪ 大劇場の南側に位 置し、元々は青少 年の体育の為の 公共施設であった。 ▪ 鍛錬場であった中 庭を囲む部分が剣 闘士の宿舎となっ
ており、彼らの手 になるものと思わ れる落書きも壁面 に残されている。 宿舎に刻まれたある剣闘士の落書き “ Lucius Annaeus Senecas “ (Diehl 116 = C.I.L. IV 4418)
円形闘技場 ▪ 現存する円形闘技 場の中では最古の もので、前80年頃、 裕福な市民の私費 で建設された。 ▪ 1万5千人程度収 容でき、ポンペイの
みならず近隣都市 の住民も剣闘士闘 技を観戦していた。 ▪ 客席は、身分や階 層に応じて分けられ ていた。
コロッセウム ▪ フォルム・ロマヌムに隣接するネロ帝の人工池をウェスパシアヌ ス帝代に埋め立て着工が始り、80年にティトゥス帝により大々的 な奉献式が開催された。 ▪ コロッセウムの名称は、人工池の近くに建てられていたネロ帝の 「巨大な銅像」(colossus)に由来し、本来は「フラウィウス円形闘 技場」(amphitheatrum)と呼ばれていた。
コロッセウムの概観 ▪ コロッセウムの規模(楕円形型) 外壁の高さ:52m 長径:188m 短径:156m ▪ 5万人規模の収容人数を誇る。 ▪ 四層構造になっており、1層目をドーリス式、2層目
をイオニア式、3及び4層目をコリント式の支柱が8 0本ずつ設置され、各層の支柱はアーチで連結され ていた。 →1層目のアーチは全てそのまま出入り口として利用 された。(出入り口付近での混雑を緩和する。)
コロッセウムの内部(アレーナ) ▪ 闘技場を意味するアレーナは元々、「砂」(arena)を 意味する。 →闘技における流血が白い砂の上に降りかかること で、視覚的な興奮を呼び起こす意図があった。 ▪ アレーナの床下は高さ6m程の地下空間となってお り、この空間内には、猛獣の檻や舞台装置(奈落な ど)が設置されていた。
▪ 模擬海戦(naumachia)の際には、アレーナと地下 空間は水で満たされていた。
コロッセウムの内部(観客席) 完全なる身分制体現の場 ▪ 客席は、皇帝、元老院議員、騎士階層、既婚男性市 民、それ以外の男性、女性と被解放自由人や奴隷、 と言うように法律を通じて厳密に分けられていた。 世論形成の場 ▪ 「人民の感情は、劇場や見世物でとりわけはっきりと 見通すことができる。・・・」(Cic.
Ad Att. 39, 3) ▪ 観客席で声を一つにした民衆の政治的要求は、皇帝 と言えども容易に跳ね除けることが適わなかった。
主な闘技種目 ▪ 剣闘士闘技(munera) ▪ 野獣狩り(venationes) ▪ 模擬海戦(naumachia)
剣闘士闘技(munera) 紀元後320年のモザイク壁画 ▪ 剣闘士闘技とは、生と死とが常に隣り合わせであった事実を今に伝えている。 www.answers.com/topic/gladiator-mosaic
野獣狩り(venationes) ▪ 野獣同士の戦いの他、剣闘士対野獣と言う闘技も行われた。 ▪ 見世物に供される野獣は十分に躾けられ、観客に向かって 愛嬌を振りまくなど、時に動物園の意味合いも有していた。 skolor.nacka.se/.../Colosseum/resultat.htm
模擬海戦(naumachia) ▪ 神話の逸話や、歴史的に名高い海戦を再現するなどドラマ 性に富み凝った演出を行っていた。 www.vroma.org/~bmcmanus/arena.html
剣闘士闘技の意義 「死のゲーム」と戦士国家(*Hopkins説) ▪ 帝政成立により、「ローマの平和」が確立される中で、 ローマ人の気風である「軍事的栄達」や「質実剛健」 を維持する為に流血と殺戮の情景を再現する儀礼 的な行事。 →敗者の末路をローマ人の脳裏に焼き付けさせる。 パンとサーカス(*Veyne説) ▪
支配者と被支配者との間の統治を巡る暗黙の合意 とその確認の為の一種の契約行為として「市民サー ビス」(恵与行為)が行われていた。 →潜在的な「民衆の力」に対する為政者の恐れ。
ポンペイの人々の日常生活 ▪ ポンペイに生きる人々は、快適な生活を送る為の 様々な工夫に余念がなかった。 ▪ こうした工夫の跡は、街路、そこに軒を連ねる店な ど至る所に見受けられる。 ▪ また、彼等は日常的に神々や死者との交流を怠る ことはなかった。神々の庇護の下で生活を送れるの
だと考え、祖先を敬う精神を強く保持し続けていた のである。
横断歩道と馬車道 ▪ メインストリートには、横断歩道や馬車の轍の跡も残されている。 ▪ 交易都市として繁栄していたポンペイの往時を偲ぶ。
排水溝 ▪ 雨が降った際には、石畳で舗装された通りは、排水溝として の役目も果たしていた。
パン屋とかまど ▪ ポンペイの主食はパンであった。 ▪ 多くのパン屋が通りの軒を連ねていた。
飲み屋 ▪ ポンペイにおいてパン屋と同じくらい軒を連ねていたのは、飲み屋であった。 ▪ こうした飲み屋は深夜遅くまで開いており、店内から洩れる灯りによって、街 路は煌々と照らされていた。
飲み屋の壁画 ▪ 左から順にメルクリウス神、ラレス神、togaを纏った守護神、ラレス神、ディオニュソス神。また、 下の2匹の蛇は災厄から一家を守る善意の精霊を意味している。 ▪ ポンペイの人々にとって、生活のあらゆる場面、あるいは経済活動において、神々の恩寵を得 ることが必須であった。彼等は常に神々と共にあり、神々の庇護の下で生活してゆくことが出来 るのだと考えていた。
墓地通り エルコラーノ門から秘儀荘へと抜ける墓地通り。 ▪ 街を出入する人々で賑わう街道沿いには様々な墓がひしめき合っていた。 ▪ 街の出入り口は生者と死者とが交流し合う「もう一つの社会」でもあった。
「生きた証」 ▪ 妻により、C.Munatius Faustusに捧げられた墓碑の上部。 ▪ 右側には航海中の図像が彫られている。 ▪ 墓碑は上層民にとって自己と祖先、あるいは子孫の格好の宣伝媒体ともなって いた。彼等は自己の保有する富と名誉を訴え、業績を何の臆面も無く見せびら かしていた。
C.Munatius Faustusの墓碑のレリーフ ▪ 上の半身像のレリーフが被記念者Faustusだと思われる。 ▪ 下のレリーフにはFaustusが生前に為した業績が彫り込こまれている。 ▪ Faustusがポンペイの市民男女及び子供達に穀物を施している様子が描かれている。 彼はAugustales(*皇帝祭司団の一員)であり、側面に彫られた航海の図像は、彼が 交易商人として財を成した人物であることを明示している。
ポンペイとローマ社会 ▪ ポンペイに残る日常生活の爪跡は、ローマ社会に おいて、人々がどう生き、何を感じていたかを理解 する為の、非常に貴重な史料である。 ▪ また、ポンペイと言う街の形成の歴史を俯瞰してゆく 中で、ローマ社会が、様々な民族が築き上げてきた 文明・文化を土台として始めて成立していることを理 解することが出来る。
終わり