私は今でこそスクラムどっぷりでアジャイルコーチなぞをしている身分ですが、その前は20年近く、JTCで社内コンサルをしつつソフトウェア工学の研究をしていました。
今からちょうど20年前、駆け出しの研究者だった私は、ウォーターフォール型開発が抱える大きな問題点をどうやって解決するか悩み、そしてあるとき独自の開発手法として、ある提案を社内にしたのです。
その内容を今見返すと、まさにそれは、プロダクトバックログそのものだったのです――
2000年代初頭、アジャイルはちょうど世間に認知され始めた頃で、しかし国内で適用された事例はとても少なく、多くの企業、特にJTCでは「ウチとは関係ないもの」と思われていました。私もその例に漏れず、自社ではウォーターフォールで開発するのが当たり前だと思い込んでいて、アジャイルに興味はあったものの、XPの本を一冊読んだ程度でした。スクラムに関しては難しくて全く理解できなかったし、理解しようともしませんでした。
そんな私ですら、プロダクトバックログを独自に思いつくに至ったのです。それはつまり、当時のソフトウェア開発にもがき苦しみ、何とか良くしよう、改善しようと考えれば、そうしたアジャイルのプラクティスに辿り着くのは必然だったとも言えるのです。
このセッションで提供するのはある種の考古学です。20年ほど前の、アジャイルやスクラムが出てきた当時のソフトウェア開発の様子を振り返りながら、ある意味アジャイルと対極にいたソフトウェア工学研究者の立場から、アジャイルが生まれてきた必然性をお話します。