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AIによる科学の加速: 各領域での革新と共創の未来

AIによる科学の加速: 各領域での革新と共創の未来

本資料は、進歩が著しいAIにより科学、すなわち学術的研究や発見がどのように加速度的ともいえる変化をしているのか、気象、医療、生物学などを含めた各領域におけるAIによる革新、そして今後の研究のあり方とAIとの未来について考察をしたものです。

■参考:AIによる科学の加速: 各領域での革新と共創の未来(note)
https://note.com/masayamori/n/n4b4f4ac3d7d9

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Transcript

  1. 自己紹介 博報堂DYグループが目指す「人間中心のAI」の進化 アクセンチュア、楽天を経て デロイト トーマツにて先端技術・AI領域をリード(APACリード) 日本ディープラーニング協会 顧問 東京大学 共創プラットフォーム開発 顧問

    慶應義塾大学 xDignity センター アドバイザリーボード 森 正弥 (もり まさや) 博報堂DY ホールディングス 執行役員 CAIO(Chief AI Officer) / Human-Centered AI Institute 代表
  2. はじめに: 今日の科学的知とAI 現代において、科学的な「知」の規模は拡大の一途にある。日々新たな発見がなされ、レポートや論文が作成され次々に報告されている。波状的に 更新される、その膨大な量を把握し、咀嚼することはたとえその領域を専門とする研究者であっても容易ではない。ある種、今日の科学文献は、情 報過多による「知の迷路」とも言える複雑性を呈している。 このような状況はもちろんインターネットを中心としたビッグデータの発展とそれを土台に進化が著しいAI技術によってもたらされている面も強い が、対抗策としてその活用が期待されているのもまたAIである。単なる情報収集や整理の補助にとどまらず、AIは今や、科学的発見そのものの在り 方に影響を与え始めている。AIは、大量の論文や実験データを高速に処理し、従来の人間の認知能力では捉えにくかったパターンや相関を浮かび上 がらせることができる。拡大し続ける科学において、AIは新たなナビゲーションとしての役割を担い始めている。 希望と慎重さの両立

    この変化には希望と同時に慎重さも必要とされる。アルゴリズムに よる偏り、データの質、再現可能性、倫理的な枠組みといった課題 が、AIの信頼性や科学的価値に直結する。 批判的思考の重要性 科学とAIの協働には、技術的な理解のみならず、社会的・倫理的な 文脈をふまえた批判的思考が求められる。
  3. AIの学際的浸透と「加速の瞬間」 まず議論を、科学におけるAIの影響から始めてみたい。Kellogg 経営大学院 Center for Science of Science and Innovation

    (CSSI) の Jian Gao と Dashun Wang は数千万本におよぶ学術論文を対象に、AIの影響が学術領域全体にどのように広がっているのかを網羅的に調査した。その結果、AI の影響がもはや情報科学やコンピューターサイエンスに限定されるものではなく、生命科学、物理学、材料科学、社会科学など、学問のほぼ全領域 へと急速に広がっていることが明らかになっている。 特に注目すべきは、この変化が時間軸上でどのように展開されてきたかという点である。研究では、AI技術の学術応用において(彼らが「ホッケー スティック曲線」と呼ぶ)急激な成長が2015年から始まったことが示されている。AIの導入は突発的かつ加速度的に増大し、2015年を起点として 指数関数的な影響拡大が確認されている。2015年とは、Nature誌にて、深層学習(Deep Learning)の3人のゴッドファーザーと言われる Toronto 大学 のGeoffrey Hinton 教授、New York 大学のYann LeCun 教授、 Montreal 大学のYoshua Bengio 教授による総説論文「Deep Learning」が発表された年である。このことはおそらく偶然ではないだろう。
  4. AIによる研究プロセスの変容 この「加速の瞬間」を境に、研究におけるAIの活用方法が変わっている。以前の段階では、AIは機械学習を中心にデータ解析に使うことがメインで あり、他には補助的ツールとして利用されるという形であったが、以降においては、仮説の生成、洞察の発見といったより創発的なプロセスにまで 組み込まれるようになった。この変化は、科学研究のスピードと射程を根底から刷新する可能性を持ち、それゆえ学問的・技術的・倫理的側面から の包括的検討が求められることにつながる。 従来のAI活用 機械学習を中心としたデータ解析 補助的ツールとしての利用 現在のAI活用 仮説の生成

    洞察の発見 創発的プロセスへの組み込み AIは技術的ブームを超え、知識、学習、創造性、生産性の各側面において人類の活動を爆発的に増幅させるポテンシャルを備えている。この主張は 決して誇張ではない。AIは人類の取り組みそのものの速度と質に革命をもたらしている。かつて数百年、あるいは数千年を要していた観測や解析、 仮説検証といった作業が、AIの導入により数か月、時には数日で完了しうる時代へと移行している。
  5. 気象モデリングの革新 例として、気象および気候モデリングの進展を見てみる。気象は日常に密接に関わる ものであり、科学と社会の接点としての重要性を持つ分野であるが、「Neural GCM (General Circulation Model)」および「GraphCast」と呼ばれる気象モデルがある 。前者は、従来の物理法則に基づいた大気循環モデルと機械学習技術を融合させた新 しい枠組みであり、約7万日分に相当する大気状態のシミュレーションを、物理ベー スの最先端モデルが19日分を処理するのと同等の時間で実行できる。これは、単なる

    スピードの向上ではなく、モデリングの解像度と精度の両面でブレークスルーが存在 している。後者の「GraphCast」もまた、従来のゴールドスタンダードとされていた 予報モデルを凌駕する予測精度を10日間スパンで実現しており、農業、防災、都市計 画といった幅広い分野での応用が期待されている。 飛行機雲の発生予測 American Airline が Google Research および Breakthrough Energy社と実施し た研究では、AIを用いて飛行機雲(コントレイル)の発生予測を可能とし、それ に基づく飛行ルートの最適化により、温室効果ガスの排出を最大54%削減するこ とに成功した。
  6. 診断支援から予測医療、個別化医療へ 医療およびヘルスケア分野にもAIは深く浸透しつつある。AIにより、早期診断の精度は劇的に向上し、治療の最適化が現実のものとなっている。 網膜画像解析 AIを用いた網膜画像(眼底スキャン)の解析に よる疾患の検出があげられる。この技術は糖尿 病性網膜症、加齢黄斑変性症といった視覚障害 をもたらす疾患の早期発見を可能にし、失明予 防や治療の早期介入において決定的な役割を果 たしている。 予測バイオマーカー

    フランスのキュリー研究所(Institut Curie)の 取り組みでは、AIを活用して希少がんを患う女 性患者に対する治療成果の改善が試みられてい る。「予測バイオマーカー」と呼ばれる治療反 応の事前予測に有効な生体指標をAIによって特 定し、個別化医療の精度を高めている。 予測毒性学 薬物候補の毒性を早期に予測し、安全性の高い 新薬開発へつなげることを目的とした領域であ り、AIのパターン認識能力と予測モデリングの 精度が効果を発揮する。 個別化医療は、個々の患者の遺伝情報、代謝特性、病態進行などに基づいて、最適な治療法を提供する医療方式である。このアプローチは、新規治 療法の開発にとどまらず、既存の治療法を最も必要とする患者に正確に届けるという意味でも大きな意義を持つ。
  7. 医薬品開発におけるAIの役割 AIは、臨床試験の設計最適化において果たす役割も注目に値する。従来の臨床試験は時間的・金銭的コストが極めて高く、さらに失敗のリスクも大 きい。AIは、患者選定、用量設定、副作用予測といった複雑な要素を統合的に分析し、試験設計の合理化と成功率の向上に資する新たなツールとし て機能している。 従来の医薬品開発 時間的・金銭的コストが極めて高く、失敗 リスクも大きい AIによる最適化 患者選定、用量設定、副作用予測の統合的 分析

    個別化医療の実現 AIを用いた分子レベルの治療薬設計により、 「万人に共通の薬」ではなく、「一人ひとり に最適化された治療薬」の開発が可能に AIの医療への応用は、一般的にモデルの透明性、説明可能性、データプライバシーの確保、AIの設計物に対する規制・承認プロセス、倫理的ガバナ ンスの徹底等の課題等があり、社会的・制度的側面への対応も求められる。それらの克服を前提とした上で、このようなアプローチは、単なる治療 法の進化ではなく、医療の哲学そのものを変えうる。医療が画一的なモデルから脱却し、個人の生物学的特性に適応する方向に進化することは、治 療の効果と安全性を同時に高める道筋を提示している。
  8. タンパク質構造予測と生物学の新たな基盤 AIが様々な領域におけるアプローチを再定義しつつある現在、その最も象徴的かつインパクトの大きい事例のひとつが、DeepMind による「 AlphaFold」プロジェクトである。本プロジェクトをともに主導した、DeepMind の共同創設者でCEOの Demis Hassabis と研究者の John Michael

    Jumper は、本プロジェクトによって2024年10月、ノーベル化学賞を受賞したことで世界的に話題になった。その業績は、AIを用いて理 論生物学の難問中の難問と言われてきた、タンパク質構造予測問題(protein folding problem)の実質的な解決に至ったものであり、現代科学にお ける画期的な転換点とされている。 タンパク質は、生命活動における中心的な機能分子であり、その三次元構造が機能と直結している。しかし、アミノ酸配列から最終的な立体構造を 予測することは、かつての計算科学では極めて困難とされていた。実際、これは50年以上にわたって生物物理学・構造生物学の未解決問題のひとつ として位置づけられていた。
  9. AlphaFoldの革新的成果 Hassabis と Jumper らの研究チームが開発したAlphaFoldは、この課題に対してAIを用いた革新的アプローチを提示した。Deep Learning を基盤 としたAlphaFoldは、過去の構造データを学習することで、未知のタンパク質の三次元構造を極めて高精度で予測することに成功した。この技術は 2020年の「Critical Assessment

    of Structure Prediction(CASP)」において人間専門家に匹敵、あるいはそれを上回る精度を示し、世界中の研 究者に衝撃を与えた。 28,000+ 学術的引用数 2023年時点でのAlphaFoldの引用回数。これは単な る注目の研究に留まらず、知識の構造そのものを支 える「基盤的技術」であることを物語っている。 さらに特筆すべきは、DeepMindとEMBL-EBI(欧州分子生物学研究所)によって公開された AlphaFold データベースである。これは、地球上に存 在する数億種類に及ぶほぼすべての既知のタンパク質に関する構造予測情報を収録したものであり、広範な科学分野における研究加速の基盤として 機能している。このデータベースはすでに数千の研究プロジェクトで活用されており、創薬、疾患メカニズムの解明、酵素設計、農業バイオテクノ ロジー等、応用範囲は極めて広い。
  10. 新物質発見と 「ファンタジー・マテリアル」 生命科学や医療分野における革命的な応用に続き、材料科学(Materials Science) においても根本的な変化が起こりつつある。この領域では、AIは新しい物質の発見や 機能性材料の設計において、人間の直観や経験に依存してきた従来の手法を凌駕する 可能性を提示している。 AIを用いた材料発見は、既に実証的な成果を上げている。その代表例が、Microsoft Research において、AIを用いて発見されたタンタル・クロム酸化物(Tantalum

    Chromium Oxide)である。この物質は、これまで理論的にも実験的にも知られてい なかった新規構造を有し、AIによるデータ駆動型探索によって初めてその存在が明ら かにされた。 背景にあるのは、組成可能な元素の組み合わせが10の180乗という天文学的な数にの ぼるという現実である。これは、人間が一つひとつの組み合わせを検証するには、実 質的に無限に近い時間がかかることを意味しており、AIによるパターン認識・予測モ デリングの優位性が際立つテーマである。
  11. 新たな知の媒介としてのAI 気象、医療、生物学、材料科学に続いて多領域で起きている革新を見てみる。AIが影響をもたらしている分野の多様性は、もはやいくつかのドメイ ンで起きている技術革新というよりも、知識とシステムの融合的媒介としてのAIの位置づけを示唆している。 交通分野 AIはリアルタイムの交通データを処理し、信 号制御や交通量配分を最適化することにより 、都市内の交通流を効率化し、渋滞の緩和、 CO₂排出の削減、公共交通機関の運行改善と いった波及効果をもたらしている。 エネルギー分野

    AIがすでに電力グリッドの管理に活用されて いる。スマートグリッドにおける負荷予測、 エネルギー需給のバランシング、再生可能エ ネルギーの変動管理などにおいて、AIは信頼 性と効率性を同時に向上させる役割を果たし ている。 宇宙論 膨大な天体観測データを解析し、銀河の分類 、重力レンズ効果の検出、ダークマターの分 布推定などに用いられており、宇宙の構造と 進化に関する理解を加速させている。 また、AIは環境修復の分野においても実用的な成果を上げつつある。近年の興味深い事例として、古地図とAIの画像解析を組み合わせ、長年放置さ れてきた廃油井(abandoned oil wells)の位置を特定し、環境浄化作業につなげるプロジェクトが挙げられる。これにより、地下水や土壌への有 害物質の漏出を防ぎ、持続可能な環境管理への新たな道が開かれている。
  12. 自動運転ラボの可能性 また、バーチャルラボをより進めた構想として「自動運転ラボ(Self-driving laboratories)」を提唱する有識者、研究者もいる。自動運転ラボとは、AIによって制御された ロボット群が24時間体制で実験を遂行し、取得したデータをリアルタイムで解析し、次の実験プロトコルを自動生成するという循環型の実験環境である。これにより、従来 であれば長時間を要する試行錯誤的プロセスが圧縮され、研究の速度と柔軟性が飛躍的に向上する。 実験の自動化 AIによって制御されたロボット群が24時間 体制で実験を遂行 リアルタイム解析 取得したデータをリアルタイムで解析

    プロトコル生成 次の実験プロトコルを自動生成 人間の監督 科学者が創造的思考と倫理的判断に集中 とはいえ、これらのシステムは完全自動ではなく、人間科学者の関与が不可欠である。鍵となるのは、ルーチン的で反復的な作業をAIとロボティクスに委ねることで、科学 者がより高度な思考、仮説の創造、理論の構築、倫理的判断などに集中できる環境を整えることにある。そのため、自動運転ラボは、人間の創造的知性を最大限に活かすた めの共創モデルであり、研究者とAIの協働の究極形と捉えられるかもしれない。
  13. 学際的科学とAI時代の研究者 AIが科学に与えるインパクトを総合的に捉えるためには、個別技術の進歩や応用例を 超えた、構造的・文化的変化にも目を向ける必要がある。その中核にあるのが、現代 科学における学際性(interdisciplinarity)の重要性である。 Francis Crick Institute (英国フランシス・クリック研究所)の Paul Nurse

    をはじめ 、多くの第一線の科学者たちは、現代の科学的課題が複雑かつ多層的であることを強 調している。そのため、単一分野の知識や技術では対応しきれない問題が増加してお り、学際的な研究体制の構築が不可欠となっている。 例をあげるならば、新薬の臨床研究においては、アルゴリズム設計・データ処理を行 うAIエキスパート、遺伝子・細胞の知見を持つ生物学者、分子構造・反応設計の専門 家である化学者、臨床応用の経験が豊富な医師、さらにはシステム影響評価を行う環 境科学者、それぞれの連携が必要になるケースもあるだろう。これらの異なる専門家 が「科学のドリームチーム」を形成し、共同で未知の課題に挑むというスタイルが、 今後の科学の主流になるのではないか。
  14. AI時代の科学者像 そして、学際性の要請は、研究体制だけでなく、科学者個人のスキルセットの拡張という課題をも伴う。前述した Gao と Wang の研究によれば、近年 急速に高まっているのが、科学とAIの双方を理解し、橋渡しできる人材への需要である。 1 AIリテラシー AI・データサイエンスの基礎を理解する能力

    2 専門性 自身の専門領域を深く探求する知識 3 協働力 異分野の研究者と効果的に協働できる能力 4 科学的判断力 AIを監督し、科学的意味をもって研究を遂行する力 この新たな人材像を表現するなら、「AI・データサイエンスの基礎を理解し」、「自身の専門領域を深く探求しており」、「異分野の研究者と効果的に 協働でき」、「AIを監督し、科学的意味をもって研究を遂行する力」を持つ人物といえる。 いわば「AIを話せる科学者(AI-literate scientist)」の育成こそが、次世代科学教育の最重要命題となりつつある。これは教育カリキュラムの再設計だ けでなく、研究機関におけるチームビルディングやキャリア形成の在り方にも影響を与えるだろう。
  15. 終わりに:科学の未来 本論考では、AIが科学に与えている影響と今後の科学のあり方について整理した。AIは観測・分析・予測だけでなく、仮説構築や発見のナビゲーシ ョンまで担う存在になりつつあり、気象、医療、生物学、材料科学、宇宙論、エネルギー、環境など、幅広い分野においてその導入は加速し、これ までにないスピードでブレークスルーが生まれている。AIは、科学そのものに根本的な変容をもたらしている。未来の科学は研究者の孤高な探求で はなく、多様な専門家とAIが交差する協働空間の中で形成されていく。これは、研究スタイルの変化であると同時に、「哲学」や「文化」の再構築 も意味するだろう。 人間とAIの共創 AIは、知の生成を支援する「加速装置」であるが、それをどのように使うか、何を意味づけるかは依然として人間に委ねられている。科学的判 断、倫理的配慮、創造的発想は人間の領域である。立てるべき問いをたて、AIと協働する関係こそが、今後の科学の進化を牽引する鍵である。 我々がいま目にしているのは、「未来の科学」の到来ではなく、すでに始まっている現在進行形の革命である。そしてこの革命は、AIと人間の共進

    化を軸に、我々がまだ知らない世界へと扉を開こうとしている。科学の未来は、共創の未来である。