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技術的負債の泥沼から組織を救う3つの転換点

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March 04, 2026

 技術的負債の泥沼から組織を救う3つの転換点

かつて、ある愚かなエンジニアがいた。彼は意気揚々とマイクロサービス移行という壮大な計画を立ち上げ、2年という歳月を費やした。しかし完成の暁に彼を待ち受けていたのは、栄光でも賞賛でもなく、すでに陳腐化した設計と、ふたたび着々と積み上がる技術的負債という名の瓦礫の山であった。なんたる業か。なんたる滑稽か。

nwiizoによるこのセッション「技術的負債の泥沼から組織を救う3つの転換点」は、そのような哀れな魂たちへの救済の書である。2026年3月4日、Engineering Management Conference Japan 2026のホールBにて、40分間にわたり語られる。

氏が説くに、モダナイゼーションの失敗とは技術の失敗にあらず。組織構造を軽視し、意思決定を技術者のみで完結させ、ビッグバン式の大改革に酔いしれた者たちが、コンウェイの法則という冷酷な摂理によって粛清される、それだけのことである。古い組織は、新しいシステムを確実に、かつ静かに、腐らせていく。

ならばいかにすべきか。氏はAMETという概念を持ち出す。答えを与えるチームではなく、組織が自ら考えられるよう手助けし、最終的には己の存在意義を消滅させることを目標とするチームである。なんと殊勝な自己犠牲の精神であろうか。EventStormingやWardley Mappingを駆使し、組織の内なる知性を呼び覚ます。

また、経営層に「技術的負債がやばい」と訴えても暖簾に腕押しであることは、諸君もよくご存知であろう。Core Domain Chartによって複雑性を可視化し、それを「年間XX億円の機会損失」という経営者の母語に翻訳してこそ、初めて投資という名の援軍を呼び込むことができるのだ。

そして何より肝要なのは、壮大な計画を立てないことである。3〜6ヶ月で成果を示せる小さな戦場を選び、勝利を積み重ね、信頼を醸成していく。Team Topologiesを携え、技術・組織・文化を同時に変革していく。

レガシーシステムという名の泥沼で溺れかけている諸氏よ、このセッションはあなた方のために存在する。

🔗 https://fortee.jp/emconf-2026/proposal/cd55bd21-d2ef-448c-af5c-e02f0994e4ae
🔗 https://x.com/emconf_jp
🔗 https://2026.emconf.jp/

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March 04, 2026
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Transcript

  1. nwiizo 株式会社スリーシェイクでプロのソフトウェアエンジニアをやっているもので す。Nick Tune & Jean-Georges Perrin 著「Architecture Modernization 」

    (Manning, 2024 )の日本語版に携わりました。 趣味は読書、格闘技、グラビアです。 インターネット上では nwiizo を名乗り、ブログ「じゃあ、おうちで学べる」を運 営しています。X / GitHub もこのID でやっています。 2
  2. Sreake のお仕事 SRE/DevOps 支援 Kubernetes 構築・運用 クラウドネイティブ化推進 Observability 導入 アーキテクチャモダナイゼーション

    現状分析・戦略策定 段階的な移行支援 内製化・伴走支援 こんなこともやっています: ML/LLMOps 支援 — ML 基盤構築・運用、LLM アプリケーション開発、データ基盤最適化 ご依頼・ご相談お待ちしております https://sreake.com/ 4
  3. この発表で解決できること こんな悩みを持っていませんか? 技術的負債の投資を経営層にどう説明すれば? 「マイクロサービス化したい」という現場の声にどう 応える? 優秀なエンジニアが負のサイクルで辞めていく 地味だが重要な仕事をどう評価すればいい? この発表で持ち帰れるもの 技術的負債をビジネスリスクとして可視化する手法 AMET

    による組織能力の育成アプローチ 3-6 ヶ月で成果を示す学習サイクルの設計 チーム構造をどう設計すべきかの判断軸 技術だけでは組織は変わらない。学ぶ力・語る力・始める力——3 つの転換点で「技術の問題」を「組織の問題」に捉 え直す 5
  4. よくある話:技術的には成功したモダナイゼーション 完了したとき、設計はすでに陳腐化していた こんな話を聞いたことはないだろうか。1 〜2 年かけてマイクロサービスに移行した。技術的には「成功」だった。し かし完了した頃にはビジネス要件が変わり、サービス境界が実態と合わなくなっていた。あるチームが管轄するサー ビスに別チームのビジネスロジックが入り込み、デプロイのたびに複数チーム合同の調整会議が必要になった。 何が間違っていたか 技術的な正しさだけを追求した。ビジネスの変化速度を 考慮しなかった。組織構造を変えずに技術だけ変えた。

    なぜ繰り返されるのか 技術・事業・組織を同時に動かす方法論が共有されてい ない。結果、技術だけが先行し、同じ構造の失敗が組織 を越えて再生産される。 この話に心当たりがある方は、少なくないのではないでしょうか。技術的には正しいことをやった。それでも組織は変 わらなかった。本発表では、この構造を3 つの転換点から解きほぐしていく。 革命は負債の再生産。進化だけが持続する。 7
  5. この負のサイクルをどう断ち切るか Nick Tune & Jean-Georges Perrin 著 モダナイゼーションは技術の刷新ではなく、ソシオテクニカルな変革 表面的にはアーキテクチャモダナイゼーションは純粋な技術的取り組みに見える。だがよ り詳しく見ると、モダンアーキテクチャの可能性を真に活用するには技術やパターンの先

    を見据える必要がある。組織構造、チームへの権限移譲、ドメイン境界の設計—— 技術的 側面と社会的・組織的側面の両方を同時に動かすことが求められる。 本発表が依拠する実践知 Nick Tune とJean-Georges Perrin はこの包括的なアプローチを「Architecture Modernization 」として体系化した。日本語版の翻訳に携わる中で見えてきたのは、全17 章を貫く一つの原則—— 技術だけ変えても負のサイクルは断ち切れないということ。本発 表では、この書籍の知見と現場での実践を重ね合わせた3 つの転換点を提示する。 技術的負債は「技術」だけの問題ではない。では、その正体とは何か。 9
  6. なぜ技術的負債は技術だけでは返済できないのか Dr. Andrew Richard Brown 著(Apress ) 数字で見えるのは表面だけだ。技術的負債の本質は、その多層構造にある。Andrew Richard Brown

    氏はこれをドラゴンに喩えた。ドラゴンは一つの頭を切り落としても別の 頭が襲ってくる—— のではなく、そもそも全貌が見えないほど巨大で、どこから手をつけ ても絶望的に感じる存在として組織の前に立ちはだかる。コードを直しても組織が変わら ない。組織を変えても文化が追いつかない。その圧倒的な無力感こそが、技術的負債の本 当の脅威。 Brown 氏はこのドラゴンの正体を5 層の玉ねぎモデルとして解剖した。表面のTechnical 層 を剥いても、その下にTrade-off 、Systems 、Economics 、Wicked Problems という4 つの層 が隠れている。Ward Cunningham が本来語った「負債」は理解と実装の乖離だったが、現 実の組織ではコードの裏に、意思決定の歪み・組織構造・利害対立・社会的複雑性が絡み 合っている。 技術的負債は「技術」の問題ではない。それが本発表の出発点。 10
  7. 玉ねぎモデルが示す5 つの層 Figure 1-1 The technical debt onion model より引用

    表面のTechnical 層はコード品質やアーキテクチャの不整合。その原因はTrade-off 層—— 人間は即時的・確実な利益を優先する。さらに深くにはSystems 層の組織構 造が負債を再生産し、Economics 層では利害対立が構造化される。最深部の Wicked Problems 層ではステークホルダーごとに世界観が異なり、解決策は「正 しい/ 間違い」ではなく「良い/ 悪い」で判断される。 「技術的負債を返済しよう」と言うとき、自分が今どの層と向き合っているのか意 識してほしい。コードを書き直すだけなのか、意思決定の構造を変えるのか、組織 の力学に介入するのか。層を間違えた介入は、表面を磨いて根を放置する行為にな る。 「どの層の負債か」を問え。層を間違えた介入は、負債を再生産する。 11
  8. 放置された負のサイクルは組織全体を蝕む Figure 1.3 The negative cycle より引用 レガシーシステム → 開発速度低下

    → 優秀な人材の流出 → さらなる品 質低下 → より深刻なレガシー化 この負のサイクルは、技術だけでは断ち切れない。 この負のサイクルには構造がある。Jon Smart 氏は、質・速度・安全・ 幸福の4 軸のバランスが崩れるとサイクルに陥ると指摘した。速度だけ 追求しても、安全と幸福が犠牲になれば持続しない。 技術的負債は、返済させない組織の力学が生み出している。誰も意図し ていないのに、構造が負債を再生産する。 12
  9. コンウェイの法則を逆手に取る Figure 2.1 Sociotechnical architecture より引用 「組織はそのコミュニケーション構造を反映したシステムを設計する」 (Melvin Conway, 1968

    ) 。コンウェイの法則を無視してアーキテクチャを変えようとすると、組織構造との 摩擦が生まれ、技術を変えても同じ問題が形を変えて再現される。 従来のアプローチ 既存の組織構造のまま技術だけを変える。 新アーキテクチャが既存の組織の歪みを引 き継ぐ。 逆コンウェイ戦略 先に理想のアーキテクチャを描き、それに 合わせて組織構造を設計する。アーキテク チャと組織を同時に設計する。 組織を変えずにアーキテクチャだけ変えたいは幻想。組織設計はアーキテクチャ設計。 15
  10. 技術× 組織× 学習文化の3 軸で問題を捉え直す ここまでの問題提起を整理する 純粋にツールやテクニックだけで解決できるモダナイゼーションの問題はほとんどない。技術的負債は技術の問題ではな い。組織構造の問題であり、学習文化の問題であり、変化への抵抗の問題。この3 つの軸を同時に動かさなければ、モダナ イゼーションは成功しない。 第1

    の壁:技術だけでは解けない ドメイン境界の設計、段階的な移行パ ターン、適切な粒度の選択 第2 の壁:組織が構造的に変われない チーム設計、コンウェイの法則への対 処、評価制度の見直し 第3 の壁:人間が変化に抵抗する 対話の場の設計、実験と振り返り、知 識の横展開 3 つの壁は独立していない。技術の壁を越えようとすると組織の壁にぶつかり、組織の壁を越えようとすると人間の壁にぶつかる。 この入れ子構造こそが、モダナイゼーションの本質的な難しさ。 3 つの壁は入れ子になっている。どれか1 つを解いても、残り2 つが足を引っ張る。 16
  11. 「構造的無能化」はなぜ起きるのか 宇田川元一著(日経BP, 2024 ) 組織が成功し環境に適応すると、分業化・ルーティン化が進み、思考の幅と質が制約され、目先の 問題解決を繰り返して疲弊していく—— 「構造的無能化」 (宇田川元一氏) は、成熟した組織にとっ て宿命だ。誰かが悪いのではなく、構造が変化を阻む。

    Christensen 氏の「イノベーションのジレン マ」も同じ構造を指摘している—— 既存顧客への最適化が、破壊的変化への盲点を生む。 3 つの症状とモダナイゼーションへの影響 症状 説明 モダナイゼーションへの影響 断片化 分業化しすぎて縦割りに チーム間の壁、サイロ化 不全化 変化を察知して自ら動けない 「誰かが決めてくれる」待ち 表層化 場当たり的な対応しか取れない 銀の弾丸への期待 断片化→ 不全化→ 表層化は連鎖する。分業の壁が情報を遮断し、変化を察知できなくなり、やがて場 当たり的な対応しか取れなくなる。3 つの症状は独立ではなく、ドミノ倒しのように進行する。だから こそ、組織が自ら学び変わる力を引き出す触媒——AMET が必要になる。 成功した組織ほどこの罠にはまる。乗り越える糸口は「対話」 18
  12. AMET は答えを教えず自律を促すイネーブリングチーム Figure 15.1 AMET より引用 Architecture Modernization Enabling Team

    外部から「正解」を持ち込むコンサルではない。組織が自ら発見し、自ら変 わる力を引き出すイネーブリングチーム。 AMET の原則 ファシリテーションが中心。答えを教えない EventStorming 、Wardley Mapping などの手法を組織に根付かせる チームの自律性を高め、自分たちで続けられる状態を目指す 支援の質は、支援が不要になる速さで測る 19
  13. AMET の編成と解散のタイミング Figure 4.4 Listening tour より引用 ライフサイクル4 フェーズ 1.

    準備:リスニングツアーで現状を把握。ステークホルダーとの信頼構築 2. キックスタート:EventStorming など初回ワークショップの実施 3. 伴走:チームが自走するまでペアリングとファシリテーション 4. 撤退:チームが手法を内製化したら解散。依存関係を残さない メンバー構成の指針 ドメインエキスパート、テクニカルリード、ファシリテーターの3 役が最低限必 要。全員がフルタイムである必要はないが、片手間では機能しない。最低でも 50% 以上のコミットメントを確保する。 20
  14. AMET の6 つの責務 前半3 つはモダナイゼーションを「動かす」責務、後半3 つは「根付かせる」責務。AMET が去った後も組織が自走できる状態を作る ことが最終目標。 1. キックスタート

    最初のEventStorming を企画し、対話の場 を設計する。 「最初の一歩」を踏み出すこ とが最優先。 2. モメンタム維持 Quick Wins と定期ショーケースで進捗を 可視化。成果が見えないと組織は元に戻 る。 3. 設計促進 EventStorming 、Wardley Mapping 等をフ ァシリテート。チームが自ら設計できる よう導く。 4. 持続的変化 学習サイクルを組織に埋め込む。仕組み として根付かせ、AMET なしで回る状態 を目指す。 5. ビジョン共有 技術者とビジネス側の共通言語を作る。 「なぜやるのか」を全員が説明できるこ とが指標。 6. 学習共有 成功も失敗もドキュメント化。横展開の 仕組みがないと各チームがゼロから再発 明する。 AMET の成功基準は「自分たちが不要になること」 。依存関係を残さない。 21
  15. AMET の実践:EventStorming で「見える化」する EventStorming Timeline 「正確さ」ではなく「学び」のために設計された手法 イベントストーミングは正確なモデルを作ることが目的ではない。ドメイン イベント(ビジネス上の出来事)を時系列に並べ、参加者が持っている知識 を持ち寄り、対話の土台を作る。あらかじめ既存の組織構造やドメイン境界 という枠を与えず、混沌の中から自然に浮かび上がるパターン——

    「創発的 な境界」に目を向ける。 ファシリテーションのコツ 最初の30 分は「とにかく付箋を貼る」 。批判しない ビジネス側には「普段の仕事の流れを教えてください」と問う ホットスポット(赤い付箋)で問題箇所をマーク 2 時間以上やらない。集中力が切れたら次回に 技術者だけの会議にしない — ビジネス側も対等に参加 22
  16. AMET の実践:Wardley Mapping で戦略を可視化する Figure 1.1 Starting from the user

    perspective to build the right thing より引用 「何を正しく作るか」の前に「正しいものを作っているか」 Wardley Map は、ユーザーのニーズを起点にビジネスコンポーネントの進化段 階を可視化するツール。何を自社で持ち、何を外部に任せるかをビジネス価 値の文脈で判断できる。 Genesis → Custom → Product → Commodity 各コンポーネントには進化段階がある。Genesis は不確実性が高く実験的投資 が必要。Custom は差別化要因。Product は市場に選択肢がある。Commodity は当たり前のもの。ここで重要なのは、 「コア」など固定されたものは存在し ないということ。すべては過渡的であり、今日のCustom は明日の Commodity になりうる。技術選定を「好み」ではなく進化段階に基づく合理 的な判断基準で行う。だが多くの組織は、この状況認識を飛ばして目的から 直接意思決定に飛ぶ。AMET がWardley Mapping を導入する理由はここにある —— 状況認識を経た意思決定だけが変化に耐える。 参考: Architecture for Flow (Susanne Kaiser, 2025 )23
  17. AMET の成功は組織の自立で測る モダナイゼーションで最も難しいのは着手すること。2 番目に難しいのは勢いを維持すること。 従来のやり方に逆らっ て進む以上、強い意志がなければ物事は元に戻る。では、AMET の「成功」を何で測るか? 成功パターン 社内チームが手法を自分のものにする AMET

    がいなくてもEventStorming を自発的に開催 「次は自分たちでやれます」という言葉が出る 失敗パターン AMET に依存し続ける(永続的な外注化) 手法だけ導入してファシリテーションが機能しない 「やらされている」感がチームに広がる 持続可能な変化は、組織の内部から生まれなければならない。 多くの企業はモダナイゼーションを外部に委託するが、 それがうまくいくことは稀だ。AMET 解散後も組織が自走できるかが最終指標。 支援の質は、支援が不要になる速さで測る。 24
  18. 転換点2 Core Domain Chart でビジネスの痛みを可視化する 転換点1 でAMET が組織に「学ぶ力」を埋め込んだ。だが学ぶ力だけでは動けない。Core Domain Chart——

    自社のドメインを差別化度と複雑性の2 軸で整理し、どこに集中投資すべ きかを可視化する道具—— で、経営層が投資を決断できる言語を作る。
  19. 経営層が理解するのは「ビジネスリスク」だけ 「技術的負債があるので投資が必要です」—— この説明で予算は取れない。 「技術的負債」 「リファクタリング」 「クラウドへの移行」—— これらの用語は、エンジニアリング部門以外の人々にモダナ イゼーションの価値を認めさせるほどの動機付けにはならない。経営層が理解するのは「リスク」 「機会損失」 「競争優位性」

    という言語。ビジネス上の利点を伝えられないエンジニアは、 「単に楽しみのためにシステムを書き直したいプログラマー」 として認識されてしまう。 技術者の言語 「コードが複雑で保守が困難」 「テストがない」 「デプロイ に3 日かかる」 経営層の言語 「新機能のリリースが競合より3 ヶ月遅い」 「障害で年間X 億 円の逸失利益」 「採用で負けている」 技術の痛みをビジネスリスクに変換せよ。だからこそ、技術の問題をビジネスの言語に翻訳する道具が必要になる。 26
  20. Core Domain Chart で差別化度と複雑性を整理する Core Domain Chart 2 つの軸で全ドメインを整理する 縦軸:差別化度

    — 自社の競争優位性にどれだけ貢献するか 横軸:複雑性 — 技術的・ビジネス的な複雑性の度合い 各象限の投資判断 Core Domain (高差別化・高複雑性)→ 最優先で投資。最強のチー ムを配置。ただし企業のIT のうち戦略的となるのは5 〜20% にすぎな い Supporting (低差別化・高複雑性)→ 簡素化 or 外注。ビジネスの 根幹を支えていても、差別化の余地がなければ戦略的コアではない Generic (低差別化・低複雑性)→ SaaS/OSS で済ませる。車輪の 再発明をせず外部に任せる勇気が要る 27
  21. 何のために技術投資するのか Clayton M. Christensen 他著(Harper Business, 2016 ) 「顧客はプロダクトを買うのではない。片付けるべきジョブのためにプロダクトを雇う」 —

    Christensen 氏のジョブ理論は、イノベーションの成否を「顧客の真のジョブを発見で きたか」で説明する。プロダクトの機能ではなく、顧客の状況と進歩への欲求を理解する ことが出発点。 私がこの視点をモダナイゼーションに持ち込む理由は明確で、Core Domain の判定基準が まさにこれだからだ。技術的複雑性ではなく、顧客のジョブにどれだけ深く応えているか が差別化を決める。効率化には理論的上限がある—— コード生成やテスト自動化で作業を 安く速くしても、効率化だけを価値とするプロダクトはより安い代替に置き換えられる。 効率化で浮いたリソースを、まだ解けていないジョブの発見に向けられるかどうかが分水 嶺。 28
  22. 解決策の構築は加速できても課題の発見は加速できない ソフトウェア開発の難しさは2 層に分かれる。顧客の課題を解くソリューションを構築する難しさと、そもそも解くべ き課題が何かを発見する難しさ。AI が劇的に加速するのは前者だけだ。 AI が加速できるもの—— 解決策の構築 コード生成、テスト作成、リファクタリング、ドキュメ ント整備——

    ソリューションの構築速度はAI が劇的に上 げる。DORA 2025 が示す個人の生産性向上やチーム内の 開発効率化はここに当たる。 AI が加速できないもの—— 解くべき課題の発見 顧客がどんな状況で、何を成し遂げたいのか。解くべき 課題は製品の属性やユーザーの統計データからは見えな い。特定の状況下での苦闘を観察し、機能的・感情的・ 社会的な側面を理解して初めて輪郭が見える。 AI が解決策の構築を速くするほど、解くべき課題の発見だけが残る。その発見を経営層の言語に翻訳できるかが分水 嶺。 29
  23. 翻訳とは構造を変えることである 「技術的負債がある」を「ビジネスリスクがある」に言い換えるだけでは翻訳にならない。意思決定の構造そのものを 変える必要がある。 翻訳前の構造 技術者が内部品質の問題を報告し、経営層が「今期は優 先度が低い」と判断する。技術者は正しいことを言って いるが、経営層も合理的に判断している。どちらも正し いのに投資が進まない—— これが構造の問題。 翻訳後の構造

    技術の状態を事業の選択肢の制約として提示する。 「この 技術的状態が続くと、次の四半期にこの事業判断ができ なくなる」—— 経営層が自分の意思決定の文脈で技術投 資を評価できる構造に変える。 翻訳の本質は言い換えではない。経営層が自分の判断軸で技術投資を評価できる構造を作ること。 30
  24. 見えない仕事をどう評価するか 人は「何ができるか」に注目し、 「何を防いでいるか」を軽視する 機能的価値(新機能、画面、API )は目に見える。非機能要件(セキュリティ、コンプライアンス、可用性、属人化リスク)は 目に見えない。だが、システムの長期的な存続を決めるのは後者のほう。 リスニングツアーの実践 現場を歩き、チームメンバーに問う。 「今、一番時間を浪費し ていることは?」

    「もし1 つだけ変えられるなら?」 「新メンバ ーが最も苦労する作業は?」—— この質問から、見えない仕 事の全体像が浮かび上がる。投資が行われなくても、技術ス タックとインフラが時代遅れになるにつれて複雑性は自然に 増す。現在の地位を維持するためにも、ある程度の投資は必 要という事実を可視化する。 EM が変えられること 評価制度を変えられるのはEM の特権。 「見えない仕事」を評 価する仕組みを作れば、組織の行動が変わる。持続可能性の 観点を欠いた評価制度は、短期的成果への偏重を生む。 「いくらかかるか」ではなく「何のリスクを誰が引き受けるか」で判断する 31
  25. 言語・プロセス・データで境界を引く Figure 9.2 Bounded Context and its relationships より引 用

    ドメイン境界をどこに引くか? まず3 つのビジネス視点 1. 言語の境界 — 同じ単語が異なる意味を持つ場所で分ける 2. ビジネスプロセスの境界 — 異なるライフサイクルを持つ業務で分ける 3. データの境界 — 異なるデータモデルが必要な場所で分ける 「顧客」という単語が、営業チームでは「リード」 、サポートチームでは 「契約者」 、課金チームでは「請求先」を意味する—— これが言語の境 界。同じ単語で違うものを指しているなら、そこに境界がある。 EventStorming で付箋を貼っていくと、この「同じ言葉、違う意味」が自 然に浮かび上がる。 32
  26. チームと変更頻度でEM が境界を引く 残り2 つは、EM が直接コントロールできる境界 4. チームの境界 — 1 チームが認知負荷内で管理できる範囲で分ける

    5. 変更頻度の境界 — 変更の速度が異なる場所で分ける チームの境界がなぜ重要か Team Topologies の認知負荷の概念と直結する。1 チーム が担当するBounded Context が大きすぎると、メンバー がドメイン全体を把握できなくなる。チームが「自分た ちの領域」と言えない範囲は、境界の引き方が間違って いる。 変更頻度が示すもの 週次でリリースする決済機能と、年1 回しか変わらない契 約管理が同じサービスにあると、高頻度側が低頻度側に 引きずられる。変更のリズムが違うなら、分けるべき。 EM はデプロイ頻度データからこの境界を客観的に判断で きる。 5 つのヒューリスティックのうち2 つはEM の裁量。チーム設計と境界設計は同じ問題。 33
  27. 願望を戦略にするな、最重要課題を見極めよ Richard P. Rumelt 著(日経BP, 2022 ) 「ミッション・パーパスは戦略ではない。克服可能な最重要ポイントを見極め、解決を考え抜 け」 Richard

    P. Rumelt 氏は「良い戦略」の核心(カーネル)を診断→ 基本方針→ 整合的な行動の3 要 素で定義した。目標やビジョンを掲げることは戦略ではない。現状を正直に診断し、最も重要で 克服可能な課題(最重要課題)を特定し、そこにリソースを集中させることが戦略。 モダナイゼーションにおける「悪い戦略」は、 「マイクロサービスにする」 「AI で効率化する」 「技 術的負債を返済する」—— いずれも診断なき願望。悪い戦略の根本原因は診断の欠如にある。空 疎な標語、課題と向き合わない姿勢、目標と戦略の混同。良い戦略は「このシステムが3 年後に 解くべき課題は何か」 「その課題に対して最も障害になっている構造は何か」という問いから始 まる。全ての負債を返す必要はない。最重要課題を1 つ見極めろ。 35
  28. 診断はできた、では何を単位に実行するか ルメルト氏の戦略フレームワークで最重要課題を特定した。 「このシステムのこの部分が、この事業判断を阻害してい る」まで診断が掘り下がった。だが診断の次にくる「基本方針」と「整合的な行動」をどの単位で計画するかで、実行 の成否が分かれる。 ありがちな失敗 「基幹システムのリアーキテクチャ」 「マイクロサービス への全面移行」—— 診断は鋭くても、実行の単位が「シ

    ステム全体」になると、影響範囲が広がりすぎて制御不 能になる。良い診断が悪い実行に食われる。 必要な問い 成果がビジネス指標で測定でき、失敗しても影響が限定 され、1 つのチームが自律的に動ける—— そんな実行単位 はあるか。その答えがバリューストリーム。顧客への価 値提供の流れを1 つの単位として切り出す考え方。 良い戦略は、正しい単位で実行されなければ意味がない。 36
  29. バリューストリームとは何か Figure 6.1 The high-level activities in an independent value

    stream より引用 バリューストリームとは、実現されていないユーザーの需要の特定 から始まり、ソリューションの提供を経て、そのニーズが解決され たことの検証までを含む一連の活動のこと。 「コードを書いてデプロ イする」だけではない。その前後にある発見と検証を含む、もっと 広い単位。 図が示す5 つのステップがバリューストリームの全体像だ。需要の発 見(Discover )で顧客のまだ満たされていないニーズを特定し、価 値の定義(Define )でソリューションの形を決め、実装 (Implement )でコードを書き、デプロイ(Deploy )で顧客に届 け、検証(Validate )で需要が本当に満たされたかを確認する。多 くの組織はImplement とDeploy だけを「開発」と呼んでいるが、発 見から検証までの全体がバリューストリーム。 37
  30. 独立したバリューストリームの4 つの特性 バリューストリームの定義はわかった。では「独立した」バリューストリーム(IVS: Independent Value Stream )とは 何か。IVS は4 つの特性を持ち、この4

    つが揃うことでバリューストリーム単位での自律的な意思決定が可能になる。 1. ドメインに整合 ビジネスドメインの境界と一致している。技術的な都合 ではなく、ビジネスの意味のある単位で切られている。 2. チームに権限がある 発見から検証まで、他チームの承認なしに意思決定でき る。権限がなければ自律的に動けない。 3. 成果で測定される 技術的指標(カバレッジ、レイテンシ)ではなくビジネ ス成果(顧客獲得、リードタイム短縮)で測定される。 4. ソフトウェアが独立デプロイ可能 他のVS のソフトウェアに影響を与えずにデプロイでき る。これがなければ「独立」は名ばかり。 粒度はさまざま—— 価格計算API 、検索サービス、モバイルアプリ。共通するのは、1 チームが発見から検証まで責任を 持てる単位であること。 38
  31. バリューストリーム単位で計画すれば小さく学べる Figure 6.11 Current architecture does not align with target

    value stream boundaries より引用 「基幹システムを刷新する」—— こう宣言した瞬間、成果はAll or Nothing 。図の ように現在のアーキテクチャの境界はターゲットVS の境界と一致しない。システ ム単位で計画すると、1 つの変更のために複数チーム・複数リポジトリを巻き込む ことになる。 ビジネス成果で測定できる 「リードタイムが半減した」 「リリース 頻度が月1→ 週1 に」——VS 単位であれ ば経営層が理解できるビジネス指標で 進捗を示せる。 失敗の影響が限定される 失敗しても1 つのVS に限定される。 「こ のアプローチはうまくいかなかった」 という学びを得て、次のVS に活かせ る。 ここで3 つの転換点が繋がる。転換点1 のEventStorming で可視化したビジネスフロ ーがVS 候補。転換点2 のCore Domain Chart で投資の優先度が決まる。転換点3 で、そのVS を1 つ選んで小さく始める。 3 つの転換点は、バリューストリームという単位で組織を動かすための道具だっ た。 39
  32. 着実に成功させてから拡大する Figure 16.8 Modernization Core Domain Chart より引用 Nail it

    then scale it (着実に成功させてから拡大する) 。 パイロットと は、組織全体に展開する前に1 つのバリューストリームで小さく試す実証 プロジェクトのこと。最初のパイロットの成否が、組織全体のモダナイゼ ーションに対する態度を決定づける。 Modernization Core Domain Chart は、パイロット候補を4 象限に整理する 道具だ。縦軸にビジネス価値+ 学習価値、横軸に複雑さ+ リスクを取る。 Low-hanging fruit 象限—— ビジネス価値が高く、かつ複雑さが低い領域 —— から始める。ただし「簡単すぎる」ものを選ぶと学習価値が低い。成 功の確率が高く、かつ次のモダナイゼーションに活かせる知見が得られる バランスを見極める。 最初のパイロットが失敗すると「やはり無理だった」が組織の記憶にな る。 41
  33. パイロット選定の4 つの条件 Modernization Core Domain Chart で候補を絞ったら、次の4 条件で最終判断する。4 つすべてを満たす必要はないが、 条件2

    「チームの意欲」だけは必須。 条件1 :ビジネスインパクト 経営層が関心を持つ領域。成功したときに「やった意味 がある」と認められること。ビジネスインパクトが低い パイロットは、成功しても「だから何?」と言われる。 条件2 :チームの意欲 「やらされる」チームでは成功しない。手を挙げたチー ムを選ぶ。モダナイゼーションは新しい手法の学習を伴 う—— その負荷を引き受ける内発的動機が不可欠。 条件3 :技術的に切り出しやすい 依存関係が少なく独立デプロイ可能な領域。他チームと の調整コストが高い領域を最初に選ぶと、技術以外の問 題で止まる。 条件4 :学習価値 将来のモダナイゼーションを支援する知見が得られる か。パイロットの目的は成功だけではない。次に活かせ る学びを得ることも同じくらい重要。 42
  34. 全社一斉ではなく一つのバリューストリームから始める Figure 1.11 Parallel value streams より引用 モダナイゼーションは何年にもわたる大規模プロジェクトであってはなら ない。最後に全く新しいシステムが一括でリリースされるビッグバン方式 は失敗を招く典型的な方法。3

    〜6 ヶ月以内にモダナイゼーションの第一歩 となる成果を出すことが、期待感・確信・そして何より重要な信頼を築 く。 パイロットで選んだ1 つのバリューストリームに集中する。並行して複数 のVS を動かしたくなる誘惑があるが、最初の成功体験が出る前に拡大す ると、学びが浅くなり失敗のリスクが分散ではなく増幅する。1 つ目のVS で「勝ちパターン」を確立してから次に進む。 最初の3-6 ヶ月で信頼を築けなければ、2 回目のチャンスはない。 43
  35. 3-6 ヶ月の学習サイクルで実行する 1 つのバリューストリームを4 つのフェーズで進める。各フェーズに明確な成果物を設定し、進捗を可視化する。 Discovery (2-4 週間) EventStorming でビジネスフローを可視化し、Wardley

    Mapping で戦略を整理。成果物:ドメインマップ、戦略ポ ートフォリオ Design (2-4 週間) Bounded Context で境界を定義し、Team Topologies でチ ームを設計。成果物:コンテキストマップ、チーム設計書 Execute (2-4 ヶ月) Strangler Fig で段階的に移行。成果物:移行済みサービ ス、DORA 指標 振り返り 学びを言語化し、次のストリームに適用。成果物:振り返 りレポート、改善提案 転換点1 のEventStorming 、転換点2 のCore Domain Chart が、ここでDiscovery とDesign の道具になる。 44
  36. 絞め殺し植物パターン(Strangler Fig )で段階的に置き 換える Figure 12.20 Gradual system migration with

    the strangler fig pattern より引用 旧システムを一気に捨てるのではなく、新システムで徐々に「絞め殺す」 Martin Fowler 氏が命名したStrangler Fig は、熱帯の絞め殺し植物に由来す る。宿主の木を徐々に覆い、最終的に宿主が不要になる。レガシーシステ ムも同じように、機能単位で新システムに移行していく。 図に示す通り、新旧システムの前段にルーティング層を置く。機能を1 つ ずつ新システムに移行するたびにルーティングを切り替え、問題が起きた ら即座にロールバックできる設計にする。ビッグバン方式は「一晩で全切 り替え」—— 移行完了まで何も測れず何も学べない。段階的移行の価値は 「安全」ではない。 「各ステップで学べる」こと。 45
  37. Team Topologies の4 つのチーム型 Figure 11.10 Team interactions より引用 ドメイン境界に合わせてチームを設計する

    Stream-aligned Team :ビジネスのバリューストリームに沿ったチーム Platform Team :内部サービスを提供するチーム Enabling Team :他チームの能力向上を支援(AMET もこれ) Complicated-subsystem Team :専門知識が必要な領域 Stream-aligned Team がバリューストリームに直接対応する。残り3 つは Stream-aligned Team の認知負荷を軽減する支援構造。すべてのチームが同じ プロセスに従えば生産性が上がるという考えは幻想だ—— チームの種類と責 任範囲に応じて、関わり方を設計する。 47
  38. チーム間の関わり方を3 つのインタラクションモードで 設計する コラボレーション 2 つのチームが密に連携して共同作業 する。新しい領域の探索や、未確定な 境界での協業に適する。ただし認知負 荷コストが高い。一時的な関係として 設計する。

    XaaS (X-as-a-Service ) 一方のチームがサービスを提供し、も う一方が利用する。明確なAPI 境界が ある。認知負荷コストが最も低い。安 定した境界に適する。 ファシリテーション Enabling Team が他チームの能力向上 を支援する。AMET のインタラクショ ンモードはこれ。期限付きの関係とし て設計する。 認知負荷の観点 — コラボレーションは「お互いの領域を理解する」コストがかかる。長期間続けると両チームが疲弊す る。境界が安定したらXaaS に移行し、認知負荷を下げる。ファシリテーションはEnabling Team やAMET の関わり方—— こ れを時限的に設計することで、チームの自走を促す。 チーム間の関わり方も「設計」の対象。放置すれば混沌になる。 48
  39. 小さく長寿命のチームが成果を出す理由 松本成幸著(技術評論社) 4 つのチーム型とインタラクションモードは「どんなチームを作り、どう関わるか」の設計図。 だがその設計図を機能させるには前提がある—— チームは小さく長寿命でなければならない。個 人のパフォーマンス差は最大10 倍だが、チーム間の差は2,000 倍に達する。 信頼の限界が規模を決める

    深い信頼関係を維持できるのは5-9 人。超える と暗黙知の共有が崩れ、ドキュメント・会 議・承認フローが必要になる。外来的認知負 荷が増える。 チームが意思決定の単位になる 個人を「リソース」としてアサインしな い。"You Build It, You Run It"—— 開発から運 用まで一貫して責任を持つ。EM の仕事は「誰 をどこに配置するか」ではなく「どのチームに どの責任範囲を任せるか」 。 チームは「リソースプール」ではない。意思決定の最小単位。 49
  40. チームは固定ではなく意図的に再編する Heidi Helfand 著(O'Reilly Japan ) 「小さく長寿命」は正しい。だが「長寿命」を「固定」と混同してはならない。事業の成長、メ ンバーの異動、新しいドメインの発見—— チームは必ず変化する。Helfand 氏は、その変化を避

    けるのではなく5 つのパターンとして意図的に設計することを提唱した。 One by One メンバーの追加・離脱。ペア リングでコンテキストを共有 し、チームの知識を途切れさ せない。 Grow and Split チームが大きくなったら認知 負荷の限界で分割。Bounded Context の境界が分割の指針 になる。 Isolation / Merging / Switching 集中課題のための一時分離、 統合後のコンテキスト同期、 停滞打破のための意図的シャ ッフル。 モダナイゼーションの文脈では、Grow and Split が最も頻繁に発生する。モノリスから切り出し たサービスに合わせてチームを分割する—— 転換点2 のBounded Context 設計がそのままリチー ミングの設計図になる。 「長寿命」は「不変」ではない。認知負荷の変化がリチーミングのトリガー。 50
  41. チーム設計の基本単位は認知負荷である Team Topologies の4 つのチーム型 問い:1 チームでどこまでの範囲を担当できるか? 答えは「認知負荷の限界内」まで。Stream-aligned Team がバリューストリームに集

    中し、Platform Team とEnabling Team が外来的負荷を引き受ける。この構造が認知 負荷を管理可能にする。 認知負荷の3 種類: 内在的(ドメイン自体の複雑さ。避けられない) 、外来的(ツー ル・プロセスが持ち込む不必要な複雑さ。減らせる) 、学習関連(新しいことを学ぶ 負荷。一時的) 。EM が減らすべきは外来的認知負荷。認知負荷の範囲内なら速度と 品質は両立する—— トレードオフに見えるものは、設計の問題。 51
  42. 変化の推進力を高めても人は動かない Loran Nordgren & David Schonthal 著 (草思社) バリューストリームの選定、3-6 ヶ月サイクル、Strangler

    Fig 、チーム設計—— 道具は揃っ た。だが「正しい提案」が受け入れられるとは限らない。Nordgren 氏とSchonthal 氏は、 多くの人が変化を起こそうとするとき推進力(Fuel )を高めることに集中すると指摘する —— メリットを強調し、データを見せ、成功事例を紹介することで相手を動かそうとす る。 だがそれだけでは人は動かない。アイデアが人に受け入れられるかを決めるのは、推進力 だけではない。変化を阻む摩擦(Friction )の大きさが決定的に重要だ。推進力がいくら 強くても、摩擦が大きければ人は動かない。車のアクセルを踏みながらブレーキも踏んで いる状態—— それがモダナイゼーションの提案が通らない構造。 提案の魅力を高めるな。抵抗を取り除け。 53
  43. 変化を阻む4 つの摩擦を理解する では、モダナイゼーションにおける摩擦とは具体的に何か。Nordgren 氏とSchonthal 氏は4 種類の摩擦を定義した。これ らはそれぞれ異なるメカニズムで変化を阻む。 1. 惰性 現状維持バイアス。

    「10 年動いているシステムを、なぜ今 変えるのか」 。慣れた手順・ツール・関係性を手放すコス トが、改善の期待値を上回る。人は未知の利益より既知 の損失を重く見積もる。 2. 労力 変化の実行コスト。EventStorming 、DDD 、新しいCI/CD —— 学ぶべきことが多すぎると感じた瞬間、人は動けな くなる。変化そのものには賛成でも、 「やり方がわからな い」という不安が足を止める。 3. 感情 否定的感情。 「今までの設計は間違いだったのか」 。レガ シーを作った当事者ほど、モダナイゼーションを自分の 仕事への否定と感じる。論理ではなく感情が反応する。 4. 心理的反発 自律性への脅威。 「来期からマイクロサービスに移行す る」というトップダウンの宣言は、内容が正しくても反 発を生む。人は「押し付けられた」と感じた瞬間に抵抗 する。 54
  44. 惰性と労力を取り除く処方箋 4 つの摩擦それぞれに、対応する処方箋がある。共通するのは「力で押し通す」のではなく「安心できる状態を作る」 という姿勢だ。まず惰性と労力—— この2 つは「変化のコストが高すぎる」という認知に起因する。 惰性 → 小さな実験で始める 全社導入を提案しない。1

    チーム、1 サービス、1 スプリン トの実験から。 「試してみて、ダメならやめればいい」と いう安全網が惰性を溶かす。パイロットの設計思想はま さにこれ—— 転換点3 の「小さく始める」は、惰性への処 方箋でもある。 労力 → ペアリングで負荷を分散する 新しい手法を1 人で学ばせない。AMET がペアリングで伴 走し、 「一緒にやる」ことで学習コストを下げる。 EventStorming の初回ファシリテーションをAMET が担 い、2 回目からチームが自走する—— 転換点1 のAMET の 設計思想と直結する。 変化のコストを下げれば、惰性は溶け、労力は乗り越えられる。 55
  45. 感情と心理的反発を取り除く処方箋 感情と心理的反発は、コストの問題ではない。アイデンティティと自律性への脅威に起因する。論理やデータでは解け ない—— 人間関係の設計が必要。 感情 → レガシーを尊重する 「古いシステムがダメだ」ではなく「このシステムが会社 を支えてきた。次の10 年も支えるために進化させる」

    。過 去の仕事を否定しない言葉を選ぶ。レガシーを作った 人々の判断は、当時の制約の中では合理的だった。現在 のモダナイゼーションも、未来から見れば同じ立場にな る。それを認めることが、変化への感情的な障壁を下げ る第一歩になる。 反発 → 選択肢を与える 「やれ」ではなく「A 案とB 案がある。どちらがい い?」 。自律性を尊重し、当事者が選べる状態を作る。押 し付けた瞬間に反発が生まれる。モダナイゼーションの 方向性は示しつつ、 「どう実現するか」は現場チームが決 めるという構造にする。 抵抗は「反対意見」ではない。 「まだ安心できていない」というシグナル。問題を「誰かのせい」にしない場を作れ。 56
  46. リーダーシップの本気度を5 つの問いで確認する 4 つの摩擦を理解した上で、経営層との対話に臨む。この5 つの問いは、摩擦がどこにあるかを診断し、必要な支援を引き出 すための対話の道具だ。 1. このモダナイゼーションのビジネス上の理由を明確に述べられるか? 2. 3-6

    ヶ月間、専任チームを確保する覚悟はあるか? 3. 組織構造の変更を許容できるか? 4. 短期的な機能開発の遅延を受け入れられるか? 5. 成果が見えるまで忍耐強く待てるか? No は「やるな」ではない。 「まだ条件が整っていない」 。条件を整える仕事もEM の仕事。 57
  47. 学びを組織に根付かせる仕組みを設計する No への対応策は見えた。だが仮にYes を得ても、現場が一夜で変わるわけではない。変化が組織に根付くには構造的な段階があ る。個人の学習(読書会・勉強会)→ チーム内の実践(1 チームでEventStorming を試行)→ チーム間の共有(ショーケースで横展 開)→

    組織構造への反映(サブドメインに沿ったチーム再編) 。各段階を飛ばすと「号令だけの改革」になる。 EM が設計すべきは「場」の構造 個人の学習を止めないスケジュール確保、チーム実践を安全に 試行できるパイロット設計、横展開のためのショーケースの 場。意志や熱意に依存せず、構造として学びが伝播する仕組み を作る。 CoP で学びを持続させる コミュニティ・オブ・プラクティス(CoP )は個人の学びを組 織の知恵に変える装置。定期スケジュールで固定し、失敗を共 有できる心理的安全性を確保し、業務時間内の活動として認め る。ADR で意思決定を記録し属人化を防ぐ。 「忙しいから今月ス キップ」が3 回続くとCoP は死ぬ。 変化を「個人の熱意」に頼るな。 「学びが伝播する構造」を設計せよ。 58
  48. Quick Wins とショーケースでモメンタムを維持する トップダウンの支援を引き出し(5 つの問い) 、ボトムアップの学びを育てる(種まきとCoP ) 。その両輪を回し続けるためのエ ンジンがQuick Wins

    とショーケース。 3-6 ヶ月の学習サイクルを維持するには、モメンタム(推進力)を意図的にデザインする必要がある。経営層の関心は四半期ご とにリセットされる。 Quick Wins 最初の2-4 週間で「目に見える成果」を 出す。ビルド時間の短縮、デプロイ自動 化、AI によるテスト自動生成—— 小さく ても構わない。経営層に「動いている」 ことを示す。 定期ショーケース 2 週間ごとにステークホルダーに進捗を 見せる。スライドよりデモ、デモより数 字。 「デプロイ頻度が週1→ 日1 に」とい う事実が、100 枚の企画書より説得力を 持つ。 学習成熟度の追跡 チームの自律度を可視化する。 「AMET なしでEventStorming を自発的に開催し ているか」が1 つの指標。 59
  49. 設計時の境界と運用時の境界はなぜ乖離するのか 境界設計には2 つの力学が同時に働いている 1 つはビジネスドメインの論理的な分割。もう1 つは組織のコミュニケーション構造が生む物理的な分割。設計時には前者だ けを見がちだが、運用が始まると後者が支配的になる。技術的に正しい境界が、組織的に維持できない—— これがほとんど の境界失敗の構造。 コンウェイの法則の逆流

    転換点2 で「理想のアーキテクチャから組織を逆設計する」 と述べた。だが現実には、組織構造を変えないまま境界だ け引き直すケースが多い。すると境界はコミュニケーション コストに押し戻され、元の組織構造を反映した形に収束す る。構造を変えずに境界を変えても、境界が構造に負け る。 境界の正しさを測る唯一の基準 「分割数」でも「技術的な美しさ」でもない。各チームが 他チームに聞かずに意思決定しデプロイできるか。これが 成立しないなら、境界は設計図上にしか存在しない。Core Domain Chart で「何を分けるか」を決め、Team Topologies で「誰が担うか」を同時に設計する—— この2 つを分離した 瞬間に乖離が始まる。 境界設計と組織設計を分離した瞬間、コンウェイの法則が設計図を上書きする。 61
  50. 失敗の構造は3 つの転換点の裏返しである すべての失敗パターンは、3 つの転換点のいずれかを飛ばした結果として説明できる。実際にこれらの手法をそのまま導入す るかどうかは組織ごとに異なる。だが「失敗には構造がある」という認識そのものが、次の判断を変える。構造を知ってい れば、同じ轍を踏む前に立ち止まれる。 学ばずに変えようとした 組織が自ら問いを立て、発見する構造 がないまま変革を始めた。外部の「正 解」を導入しても、なぜそうするのか

    を組織が理解していなければ、元の構 造に引き戻される。構造的無能化の根 本は、学習構造の不在にある。 語らずに投資しようとした 技術の痛みをビジネスの言語に翻訳せ ず、技術者の言語のまま意思決定者に 持ち込んだ。投資判断が下りないか、 下りても的外れな優先順位になる。翻 訳なき投資提案は、組織内で「コス ト」としか認識されない。 始めずに計画し続けた 不確実性を排除しようとして計画に時 間をかけ、環境が変わり、計画が陳腐 化する。あるいは逆に、計画なしに全 社一斉で始めて制御不能になる。 「小 さく始める」と「計画する」は対立し ない。学習サイクルこそが計画であ る。 手法を使うかは自由。だが構造を知らずに踏む轍は、知っていれば避けられる。 62
  51. 3 つの転換点が解いている構造的な問い 転換点1: 学ぶ力 なぜ組織は同じ失敗を繰り返すのか。 原因は個人の能力ではなく、組織が学 習する構造を持っていないこと。 AMET は答えを与えず発見を促す。答 えを外注した組織は、外注先がいなく

    なった瞬間に元に戻る。自ら問いを立 て、自ら発見し、自ら修正するサイク ルを組織に埋め込むこと—— これが最 初の転換点になる。 転換点2: 語る力 なぜ正しい技術判断が組織に受け入れ られないのか。原因は判断の質ではな く、意思決定者の言語で語られていな いこと。技術的負債を技術の問題とし て説明し続ける限り、投資判断は下り ない。顧客が本当に成し遂げたいこと から逆算し、ビジネスリスクの言語に 翻訳すること—— これが2 番目の転換 点になる。 転換点3: 始める力 なぜ戦略は実行されないのか。原因は 計画の不備ではなく、不確実性を受け 入れる設計になっていないこと。完璧 な計画を立てようとすればするほど着 手は遅れ、環境は変わる。一つのバリ ューストリームで小さく始め、3-6 ヶ 月で学び、修正する—— 不確実性を前 提にした実行設計が3 番目の転換点に なる。 学ぶ力→ 語る力→ 始める力。順番を飛ばせば、その先で必ず壊れる。 63
  52. 参考資料(1 ) 主要書籍 Architecture Modernization - Nick Tune, Jean-Georges Perrin

    (Manning, 2024 ) アーキテクチャモダナイゼーション - Nick Tune & Jean-Georges Perrin 著 Domain-Driven Design - Eric Evans (Addison-Wesley, 2003 ) Team Topologies - Matthew Skelton, Manuel Pais (IT Revolution, 2019 ) チームの力で組織を動かす - 松本成幸(技術評論社, 2025 ) ダイナミックリチーミング 第2 版 - Heidi Helfand (O'Reilly Japan, 2025 ) 変化を嫌う人を動かす - Loran Nordgren, David Schonthal (草思社) 企業変革のジレンマ - 宇田川元一(日経BP, 2024 ) 64
  53. 参考資料(2 ) 関連書籍 脳に収まるコードの書き方 - Mark Seemann (O'Reilly Japan, 2024

    ) ソフトウェア設計の結合バランス - Vlad Khononov (インプレス, 2025 ) Building Microservices, 2nd Edition - Sam Newman (O'Reilly, 2021 ) Sooner Safer Happier - Jon Smart (IT Revolution, 2020 ) Architecture for Flow - Susanne Kaiser (Addison-Wesley, 2025 ) ジョブ理論 - Clayton M. Christensen 他(Harper Business, 2016 ) 戦略の要諦 - Richard P. Rumelt (日経BP, 2022 ) レポート・発表 DORA Report 2025 - DevOps Research and Assessment (Google Cloud, 2025 ) なぜAI は組織の速度を速くしないのか? 令和の解剖学 - 杉野和真(LayerX, 2026 ) 65