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諸外国の理科カリキュラムにおけるビッグアイデアの構造比較

 諸外国の理科カリキュラムにおけるビッグアイデアの構造比較

諸外国の理科カリキュラムにおけるビッグアイデアの構造比較
2025年3月29日
教育課程プロジェクト研究
@国立教育政策研究所

Daiki Nakamura

March 31, 2025
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Transcript

  1. 今日の内容 3 • いま、なぜ、ビッグアイデアなのか • 諸外国の動向 • 理科におけるビッグアイデアの構成原理 ※ 本スライドは、日本教科教育学会第50回全国大会(筑波大会)

    で発表した内容に加筆して構成しています。 中村大輝. 諸外国の理科カリキュラムにおけるビッグアイデアの構造比較. 日本教科教育学 会第50回全国大会(筑波大会), 口頭発表, 2024年11月10日, 筑波大学.
  2. カリキュラムオーバーロード 5  カリキュラムオーバーロード(curriculum overload) • 急速な社会の変化するための教育への要求の増加は、カリキュラムオーバー ロードと呼ばれる学習者や教師への過剰な負荷を引き起こしている • 過度な詰め込みは学習効果の低下につながり得る

    • カリキュラムオーバーロードの原因(OECD, 2020)  学習内容の増加・拡大  授業時数の不足  教科間の不均衡 • 限られた時間の中で、どのように学習の広さと深さを確保するのか?  過去の日本の事例 教育の現代化運動の時代、Bruner(1960)の『教育の過程』などの影響を受けて高度な 学習内容を増加させた。すると、学習内容が増えたことで授業のスピードが上がりつい ていくことが難しくなった。その後、1977(昭和52)年改訂の「ゆとり教育」導入へと つながっていった。
  3. 各教科の中核的な概念=ビッグアイデア 6  ビッグアイデアの整理 • カリキュラムオーバーロードを解決するための取り組みの1つとして、各教科において重要と なる中核的な概念、いわゆるビッグアイデアを整理することが注目されている(OECD, 2019, 2020)→ big

    idea, core idea, key idea, overarching ideas, central idea (IB) • 定義:いくつもの小さなアイデアや概念、複数の経験を結びつけ組織化する統一的な原理 (Mitchell et al., 2017)  例)食物連鎖というビッグアイデアは、一見独立しているように見える動物や植物を捕 食やエネルギー交換の大きな関係性の中で結び付けることができる(Wiggins, 2010) • 熟達者はビッグアイデアとその適用方法を中心に概念スキーマを構造化している(Bransford et al., 2000, pp.37-38) • ビッグアイデアの設定は、関連する知識同士のつながりを明確にし、時には複数単元を統合す ることでカリキュラムの負担軽減に貢献すると期待されている cf. 有意味受容学習、先行オーガナイザー • 教科を越えた学びをつなぐ役割も果たす(Erickson, Lanning & French, 2017: マクロ概念)  ただし、ビッグアイデアを直接教えるわけではない (小さなアイデアが結びついて構築される)
  4. ビッグアイデアの特徴 7  ビッグアイデアの5つの特徴(Wiggins & McTighe, 2005) 1. あらゆる学習のための焦点を絞った概念的なレンズを提供する。 2.

    多くの事実、スキル、経験を結びつけ整理することで、幅広い意味を提供する。理解の要 となる。 3. その主題に関する専門家の理解の核心となるアイデアを指し示す。 4. 非網羅性(uncoverage)を必要とする。教科書を網羅的に扱うのではなく、本質的な問 いを通して深い理解につなげる。 5. 転移価値が高い。すなわち、長期間にわたって、カリキュラムの「水平方向」(科目横断 的)および「垂直方向」(後のコースで年数を経て)に、多くの状況で適用できる。  ビッグアイデアの3つの特徴(Perkins, 1992) 1. 学問の中心であること 2. リンクが豊富であること 3. 学生にとってアクセスしやすいこと 何がビッグアイデアと見なされるのか? どのようにビッグアイデアが選択・決定 されるのか?
  5. ビッグアイデアの歴史 9  ビッグアイデアに関する初期のアイデアは、John Dewey の著作に見られる  Dewey (1910) How

    We Think. 「ある問題を解決するための反省的な検討の道具でなければ、アイデアは本物のアイデアではな い。地球の球形性という考えを生徒に理解させることが問題だとしよう。これは、事実として球 形であることを教えるのとは違う。…(中略)…球形という観念を理解するためには、生徒がま ず、観察された事実の中にある不可解な点や混乱させるような特徴に気づき、球形という観念が、 問題の現象を説明する可能性のある方法であることを示唆されなければならない。データを解釈 し、その意味をより深く理解するための方法として使用することで、初めて球形は本物のアイデ アとなるのである。」 → 単なる事実と本物のアイデアの区別の重要性
  6. ビッグアイデアの歴史 10  1929年には、Whiteheadによって以下の文脈でビッグアイデア(big idea)という用語が用 いられ、これが教育文脈における当該用語の最初の用例と考えられる  Whitehead (1929). The

    aims of education and other essays. 「絶え間ない練習によって、大きな考え(big idea)をつかみ、それに厳しい死のようにしがみ つくことの重要性に気づかなければ、誰も優れた推論者になることはできない。」  1960年代のカリキュラム改革の潮流の中で、J. S. Bruner が『教育の過程(The Process of Education, 1960)』において、学問の構造の理解の重要性を説いたことが、ビッグアイデア という考え方の教育実践への浸透に大きく影響 • その前後の経緯については「教育課程の編成に関する基礎的研究 報告書7」も参照→  カリキュラムへの採用 • 以降、ビッグアイデアのような中心概念の設定は学問中心カリキュラムを代表として様々なカ リキュラムで採用されてきた。 • 現在では世界各国の教育カリキュラムやスタンダードにおいてビッグアイデアが示されている ことが報告されている。
  7. 何がビッグアイデアと見なされるのか 19  理科におけるビッグアイデアの先駆的な事例(Wynn & Wiggins, 1997)  5つの問いとビッグアイデア 物質の基本的な構成要素は存在するのか?もし存在するなら、それはどのようなものか?

    【ビッグアイデア①】物理学における原子モデル 異なる種類の原子の間には、どのような関係があるのか? 【ビッグアイデア②】化学における周期律 宇宙の原子はどこから来たのか?そして、それらの運命は? 【ビッグアイデア③】天文学におけるビッグバン理論 宇宙の物質は地球上でどのように配置されているのか? 【ビッグアイデア④】地質学におけるプレートテクトニクスモデル 地球上の生命はどのようにして誕生し、発展してきたのか? 【ビッグアイデア⑤】生物学における進化論  選定基準 「自然界の現象を解明するのに貢献した力をもとに選定したものであり、まさに自然科学 のきわめて広い範囲の外観を可能としてくれるものである(Wynn & Wiggins, 1997, p.ⅶ)」 →しかし、何がビッグアイデアと見なされるのかや、どのようにビッグアイデアが選択・ 決定されるかの構成原理は必ずしも明らかになっていない
  8. ビッグアイデアをどのように表現するのか 20  単元名=ビッグアイデアではない(Mitchell et al., 2017) 単元名だけでは生成的でなく、他のアイデアや学習者の体験とリンクさせることができない× ×「力と運動」 ×「ものの温まり方」

     定理・法則=ビッグアイデアではない(Mitchell et al., 2017) 専門家によって洗練された説明が教育上有用とは限らない。表現を修正する必要がある。 ×「すべての作用には、等しく反対の反応がある。」 第三法則:作用・反作用の法則 → 作用と反作用が2つの異なる物体に作用しているという重要な問題から注意をそらす 〇「多くの反作用は、物体の何らかの歪み(曲げる、つぶす、伸ばす)に起因する」 → 反作用の原因に焦点が移り、図のどこに反作用を記入するかという
  9. 本研究の目的・方法 21  課題意識 • 何がビッグアイデアと見なされるのかや、どのようにビッグアイデアが選択・決定されるかの 構成原理は必ずしも明らかになっていない • ビッグアイデアには、その概念がどのように正当化されるのかという手続き的知識や認識論的 知識と結びついていないという批判があり(McPhail,

    2020)、各カリキュラムにおけるビッグ アイデアの位置づけがこのような批判に耐えうるものなのかについても検討の余地がある  本研究の目的 本研究では、諸外国の理科カリキュラムにおけるビッグアイデアに着目し、その構造や構成原理を 明らかにすることを目的とする  研究の方法 諸外国の理科カリキュラムにおけるビッグアイデアの構造や構成原理を比較・分析する  国家カリキュラムの例 • 米国:次世代科学スタンダード(Next Generation Science Standards: NGSS)  研究者の提案したカリキュラムの例 • 英国:Harlenのビッグアイデア
  10. 米国:NGSSにおけるビッグアイデア 22  米国の次世代科学スタンダード(Next Generation Science Standards: NGSS)では、各 分野のビッグアイデア(Disciplinary Core

    Ideas)を「物理科学」「生命科学」「地球宇 宙科学」「工学・技術・応用化学」の4つの領域に分けて設定している 1. Physical Sciences → 2. Life Sciences 3. Earth and Space Sciences 4. Engineering, Technology, and Applications of Science
  11. NGSSにおけるビッグアイデアの選定基準 23  NGSSにおけるビッグアイデアの選定基準(NRC, 2012) 1. 複数の科学や工学の分野にまたがる広範な重要性を持つか、または単一の分野の重要な組 織的概念である。 2. より複雑なアイデアを理解・調査し、問題を解決するための重要な手段となる。

    3. 生徒の興味や人生経験に関連したものであること、または科学的・技術的知識を必要とす る社会的・個人的関心事に関連したものであること。 4. 複数の学年にわたって、より深く洗練されたレベルで教え、学ぶことができる。  ①学問における正当性、②知識の正当化との結びつき、③動機づけ、④発達や指導法、 といった多角的な観点からビッグアイデアが選定されていることが読み取れる
  12. 米国:Project 2061 24  AAAS (2001). Atlas of Science Literacy

    (Project 2061). Mapping K-12 science learning. 中心的なアイデアとその関係性がマップで整理されていた
  13. 英国:Harlenのビッグアイデア 26  最終的に14項目のビッグアイデアが選定された Ideas of science 化学 1. 宇宙に存在するすべての物質は、非常に小さな粒子でできている

    物理 2. 物体は離れた場所にある他の物体に影響を与えることができる 3. 物体の動きを変えるには、力が作用する必要がある 4. 宇宙のエネルギーの総量は常に同じであるが、ある事象の際に、ある場所から別の場 所に移動することができる 地球科学 5. 地球と大気の組成、およびその内部で起こるプロセスが、地球の表面と気候を形成し ている 6. 私たちの太陽系は、宇宙にある何十億もの銀河の中のごく一部に過ぎない 生物 7. 生物は細胞単位で組織化されており、寿命は有限である 8. 生物はエネルギーと物質の供給を必要とし、その供給はしばしば他の生物に依存した り、他の生物と競争したりする 9. 遺伝情報は、ある世代の生物から別の世代の生物へと受け継がれる 10. 生物の多様性は、生きているものも絶滅したものも含めて、進化の結果である Ideas about science 科学の本質 11. 科学とは、自然界に存在する現象の原因を探ることである 12. 科学的な説明、理論、モデルとは、ある時点で入手可能な証拠に最も適合するもので ある 13. 科学によって生み出された知識は、工学や技術において、人間の目的にかなう製品を 生み出すために利用される 14. 科学の応用は、しばしば倫理的、社会的、経済的、政治的な影響を持つ
  14. ビッグアイデアの選定基準 28  選定の基準 • 学習者が遭遇する多くの事象にたいして説明力を持つ • 科学が関わる社会問題を理解する基盤を提供する • 学習者の意欲向上や達成感につながる

    • 社会における文化的意義を持っている  探究学習への位置づけ(右図) • 探究を通して検証された知識が関連付けられて 統合されていく • 既存の考えや代替案をふまえて、より広い視野での 「より大きなアイデア(Bigger idea)」に到達
  15. 総合考察|ビッグアイデアの構成原理 29 • 2つのプロジェクトに共通して、ビッグアイデアは親 学問の領域ごとに整理されており、学問の構造を反映 するものとなっている • 各アイデアは教育の観点から学習者の日常生活との関 わりや動機づけを考慮して選定されており、発達段階 ごとに記述されている

    • 各アイデアがどのような手続きによって正当化される かの説明は見られなかったものの、科学の本質のよう な認識論的知識そのものをビッグアイデアの中に取り 入れる試みが見られた NGSS Harlen 親学問の構造 ✓ ✓ 理解への貢献 ✓ ✓ 説明・予測への有用性 ✓ 実践における使用 ✓ 日常生活との関連 ✓ ✓ 学習者の興味・動機づけ ✓ ✓ 発達段階 ✓ ✓ 指導可能性 ✓ 社会・文化的意義 ✓
  16. 日本のカリキュラムへの示唆 30  現行の学習指導要領解説理科編では、ビッグアイデアに相当する中心概念が示されてはい るが、その選定基準は不明確。  また、それらのビッグアイデアを授業でどう活用するかは示されていない  科学の本質(NOS)や認識論に関するビッグアイデアは示されていない 

    カリキュラムオーバーロードへの対処として、領域ごとの中心概念を様々な観点から多角 的に検討するとともに、中心概念への統合を目指した授業のあり方を検討していく必要が ある。  概念変容理論やラーニングプログレッションズの知見との接続も考えられる。
  17. ビッグアイデアの有用性を裏付ける理論的基盤|概念変容理論との接続 31  Quinian Boostrapping 理論 • Susan Carey が提唱した

    Quinian Bootstrapping 理論は、人間(特に子 供)がどのようにして新しい概念を学習し、既存の知識を超えて理解を深め るかを説明するもの • この理論によれば、学習者は未知の概念に対して最初は「空のシンボル(プ レースホルダー)」を用い、これらを既存の知識と関連付けながら、徐々に その意味を具体化していく • 例えば、子供が「重さ」という概念を学ぶ過程を考えてみる。 初めて「重さ」という言葉を聞いたとき、子供はその正確な意味を理解して いない。しかし、日常生活の中で物を持ち上げたり、比較したりする経験を 通じて、「重さ」というシンボルに具体的な意味を見出していく。このよう に、未知の概念に対して初めは曖昧な理解しか持たなくても、関連する経験 や情報を積み重ねることで、その概念の理解を深めていく → 未知の概念を学ぶ際に、シンボルが重要な役割を果たすことを示している
  18. 引用文献 32 • AAAS. (2001). American Association for the Advancement

    of Science. Atlas of Science Literacy (Project 2061). Mapping K-12 science learning. Washington, DC: Author. http://www.project2061.org/publications/atlas • Bransford, J. D., Brown, A. L., & Cocking, R. R. (Eds.). (2000). How experts differ from novices (Chapter 2). In How people learn: Brain, mind, experience, and school. Washington, DC: National Academy Press. • Erickson, H., Lanning L. & French R. (2017). Concept-based curriculum and instruction for the thinking classroom (2nd ed.), Corwin. • Harlen, W. (Ed.). (2010). Principles and big ideas of science education. Association for Science Education. • Harlen, W. (Ed.). (2015). Working with big ideas of science education. Association for Science Education. • Mitchell, I., Keast, S., Panizzon, D., & Mitchell, J. (2017). Using ‘big ideas’ to enhance teaching and student learning. Teachers and teaching, 23(5), 596-610. • National Research Council [NRC]. (2012). A Framework for K-12 Science Education. Washington, DC: The National Academies Press. • OECD (2019). OECD Future of Education and Skills 2030 Concept Note. https://www.oecd.org/content/dam/oecd/en/about/projects/edu/education-2040/concept- notes/Knowledge_for_2030_concept_note.pdf • OECD (2020). Curriculum Overload: A Way Forward. OECD Publishing, Paris, • Olson, J. K. (2008). Concept-focused teaching. Science and Children, 46(4), 45. • Perkins, D. (1992). Smart schools: From training memories to educating minds. New York, NY: Free Press. • Whitehead, A. N. (1929). The aims of education and other essays. Old Tappan, NJ: Macmillan. • Wiggins G. (2012). What is a “big idea”?. https://www.authenticeducation.org/ae_bigideas/article.lasso?artid=99 • Wiggins, G., & McTighe, J. (2005). Understanding by Design (2nd ed.). Alexandria, VA: Association for Supervision and Curriculum Development. • Wynn, C. M. & Wiggins, A. W. (1997). The five biggest ideas in science. Sidney Harrris. (山崎昶訳(1997).『科学がわかる5つのアイディ ア』. 東京: 海文堂出版.)